パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 07:50 UTC 版)
「パーミャチ・メルクーリヤ」[1](ロシア語: «Па́мять Мерку́рія»[注 3][注 4])は、ロシア帝国が保有した帆装を持った蒸気軍艦である。設計上は非防護巡洋艦に分類され、ロシア帝国海軍では当初は巡洋艦(крейсеръ)[2]、1892年2月1日[暦 8]からは 1 等巡洋艦(крейсеръ I ранга)[3]に分類した。船舶の構造上の分類では、鉄製 3 本マストのバークに当たる。
暦
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 1908年まで黒海艦隊(Черноморскій флотъ)、同年から黒海海軍(Морскіе силы Чёрнаго моря)、1909年に黒海作戦艦隊(Действующій флотъ Чёрнаго моря)、1911年に黒海海軍(Морскіе силы Чёрнаго моря)、1914年に黒海艦隊(Флотъ Чёрнаго моря)、赤軍については1918年に黒海海軍(Морские силы Чёрного моря)、1919年に赤色黒海艦隊(Красный Черноморский флот)、1920年3月に南西戦線海・河川軍(Морские и Речные силы Юго-Западного фронта)、1920年5月に黒海・アゾフ海海軍(Морские силы Чёрного и Азовского морей)、1921年に黒海海軍(Морские силы Чёрного моря)、1935年に黒海艦隊(Черноморский флот)に改称している。 флот と морские силы の訳し分けが困難なため、ここでの日本語訳は便宜上のもの。
- ^ ドイツの同盟国であったウクライナ国の艦船として連合国に接収されるのを防ぐためアンドレイ旗を掲げたが、書類上の所属については南ロシア軍の艦船とはなっていない。所有権はウクライナ国、南ロシア軍、ソビエト・ロシアが主張していたが、結局、連合国はドイツ帝国の艦船として接収した。
- ^ 今日のロシア語の正書法では、 «Па́мять Мерку́рия» と表記される。
- ^ IPA: [ˈpamʲətʲ mʲɪrˈkurʲɪjə パーミャチ・ミルクーリヤ]
- ^ IPA: [ɪrɐˈslavlʲ イラスラーヴリ]
- ^ IPA: [bˈlokʂᵻf ˈnomʲɪr ˈdʲevʲətʲ ブロークシフ・ノーミェル・ヂェーヴャチ]
- ^ IPA: [mʲɪrˈkurʲɪj ミルクーリイ]
- ^ 艦名の片仮名表記は、ポクロフスキー 著、高田爾郎 訳、岡田宗司監訳 編(日本語)『ロシア史. 3』勁草書房、東京、1976年。000001232200 。に順ずる。参考文献の選択は、ウィキペディアの出典基準に準拠している。
- ^ “Крейсера (1.01.1856 - 31.01.1892)” (ロシア語). МорВед. 2011年1月6日閲覧。
- ^ “Крейсера I ранга 1892 - 1907” (ロシア語). МорВед. 2011年1月6日閲覧。
- ^ 「パーミャチ」は正教会で「記憶」と訳され、聖人の記憶、生者のための祈り(聖体礼儀など)、永眠者のための祈り(埋葬式やパニヒダなど)で頻繁に出て来る単語であり、単なる「思い出」のイメージにとどまらない、祈りを連想させる単語である。記事「永遠の記憶」も参照。
- 1 パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)とは
- 2 パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)の概要
- 3 概要
- 4 脚注
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