バレアレス諸島征服
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「ハイメ1世 (アラゴン王)」の記事における「バレアレス諸島征服」の解説
成人したハイメ1世は、1228年8月にウルジェイ伯(英語版)の領土相続問題に取り掛かった。ウルジェイ伯領の女相続人アウレンビアシュ(英語版)の訴えをハイメ1世が聞き入れたことから始まったこの係争は、裁判でアウレンビアシュと叔母の夫でウルジェイ伯領を相続していたゲラウ・デ・カブレラ双方の代理人が争い、ゲラウが出頭しないためアウレンビアシュに味方し、ウルジェイ伯領の各地の町を降伏させたハイメ1世の勝利に終わった。なお、アウレンビアシュは1222年に初め親戚のアルバロ・ペレス・デ・カストロ(英語版)と結婚していたが、1228年に血縁関係から無効とされた後1229年または1230年にポルトガル王サンシュ1世の息子ペドロと再婚、1231年にアウレンビアシュが死去した後はペドロがウルジェイ伯領を相続した。 同年12月にタラゴナでバルセロナの富裕市民ペレ・マルテユの豪華な接待を受け、そこでマルテユとバルセロナ司教(英語版)バランゲー・ダ・パロウ2世に地中海のマヨルカ島征服(英語版)を打診されたため、承諾してムワッヒド朝(イスラム教・ムスリム)支配下の地域の征服に乗り出した。これは貿易ルートをモーロ人海賊に脅かされたカタルーニャ商人の要請に基づく軍事行動だったが、王としても貴族を纏め上げるための口実と軍事的名声を求めていたため利害が一致した。12月20日から23日までバルセロナで開催されたコルテスでマヨルカ島征服が可決され、貴族・聖職者・都市代表全ての支持も獲得して軍事・経済支援を確保、教皇庁から十字軍の資格を与えられ1229年4月にリェイダ(レリダ)で十字軍を結成、9月5日にカタルーニャの港サロウを出発、マヨルカ島を含むバレアレス諸島遠征を開始した。こうしてハイメ1世のレコンキスタが始まった。 初めは戦闘に勝利しながらも、カタルーニャ貴族ギリェム・デ・モントカダとラモン兄弟が戦死する痛手を負ったが、マヨルカ島征服が活発になると首都パルマ・デ・マヨルカに迫り、和睦交渉はあったが決裂、12月31日にパルマ・デ・マヨルカを総攻撃で落とし、ムワッヒド朝のワーリー(代官)だったアブー・ヤフヤーを捕らえた。こうして3ヶ月で島の占領を果たした。 年が明けた1230年は戦後処理に追われ、従軍した貴族層が町からの略奪品を競売にかけて、それに怒った平民層の暴動を説得で収めるも疫病で貴族を5人も失い、軍の大部分も帰国して兵力が不足する中、山岳地帯に逃れた残敵掃討に奔走した。3月に残党を降伏させた後はマヨルカ島に滞在、10月に帰国の途に就きタラゴナに上陸、タラゴナやアラゴンなどの町で市民の歓迎を受けて凱旋、ハイメ1世はこの征服で大いに名を上げた。 征服したといっても、マヨルカ島全体の平定はまだだったため、以後も2回マヨルカ島へ遠征のため渡航することになり、バレアレス諸島の他の島々も征服に向かった。1231年5月から7月まで再度マヨルカ島へ渡り、6月17日にメノルカ島のムスリムが降伏したのを確認してカタルーニャに帰国した。翌1232年5月から8月にかけて3度目のマヨルカ島遠征を敢行、チュニス王(ハフス朝の始祖)アブー・ザカリーヤー1世がマヨルカ島遠征を企てているとの報告を受けて出動、ウルジェイ伯ペドロとヌーニョ・サンチェスを同行させた。幸いハフス軍は島に来なかったため、最初の遠征で取り組んでいた山岳地帯の残敵掃討を続行、ハイメ1世は途中で帰国したが残存部隊が任務を果たしマヨルカ島は完全平定された。1235年にはタラゴナ大司教(英語版)ギリェルモ・デ・モントグリー(スペイン語版)およびペドロとサンチェスがイビサ島も占領してバレアレス諸島は6年で平定された。戦後ペドロはウルジェイ伯領をハイメ1世に引き渡し、代わりにイビサ島を手に入れた。 一方、マヨルカ島再渡航前の1231年2月に、従伯父に当たるナバラ王サンチョ7世から相互養子縁組を提案、嫡子の無いサンチョ7世の後継者と目された。ハイメ1世も家臣たちと協議し、カスティーリャとの戦争に巻き込まれる恐れがあっても養子縁組を受諾することを了承、一時はカスティーリャを迎撃するための共同派兵も提案したが、これが吝嗇だったサンチョ7世の怒りを買い、交渉は決裂した。1234年のサンチョ7世の死後は甥のテオバルド1世がナバラの大貴族と都市代表たちに新たなナバラ王に擁立され、ナバラの相続も無くなった。
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