コミューン―苦戦と内紛の発生とは? わかりやすく解説

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コミューン―苦戦と内紛の発生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:10 UTC 版)

パリ・コミューン」の記事における「コミューン―苦戦と内紛の発生」の解説

コミューン高潔な精神性発露とは裏腹に前線では敗戦に次ぐ敗戦窮地陥るブランキのようにヴェルサイユ側で捕えられ投獄中の者や、まもなく戦死した者が続出したため、政府常時オーバーワークの状態で行政上の負担軽減の必要が生じた4月16日補欠選挙実施して、このときの選挙では軍人のクリュズレ、写実主義芸術家ギュスターヴ・クールベマルクス娘婿となるジャーナリストのシャルル・ロンゲ(英語版)、インターナショナル (歌)作詞家となる詩人ウジェーヌ・ポティエ20名の議員選出された。ドレクリューズの発案によって政府部内改組が行われて行政部執行権強化され、9名の閣僚委員会責任者として指名された。フランソワ・ジュールド(フランス語版)(財務)、ギュスターヴ・クリュズレ(英語版)(軍事)、ウジェーヌ・プロトー(英語版)(司法)、ロワール・リゴー(フランス語版)(保安)、オーギュスト・ヴィアール(フランス語版)(食糧供給)、レオ・フランケル(英語版)(労働工業交換)、パスカル・グルーセ(英語版)(外務)、ジュール・アンドリュー(フランス語版)(公共事業)、エドワール・ヴァイアン(英語版)(教育)が選出された。 「インターナショナル (歌)」も参照 しかし、プルードン主義者のジュールドが責任者務め財務部ヴェルサイユ側と内通しているフランス銀行大手金融機関預金差し押さえなどの緊急金融措置渋るなど怠慢な姿勢見せ、これに業を煮やした各行政部が政府反抗して政府部内革命独裁志向する機運生じ始めていった。政府内でのドレクリューズやブランキ派発言力はいよいよ強まり政府権限強化求めるこの種の機運高まったものの、財務委員長無策とこれに反発する強硬派動きコミューン政府統一性亀裂生じさせていった4月3日ヴェルサイユ軍との戦闘再開された。この戦闘によってコミューン独裁制導入が真剣に議論されるうになるブルジョア人質ヴェルサイユ軍の侵攻止めようとする「人質法」が制定されたほか反コミューン新聞禁止され執行委員会改組要求高まって4月28日にはブランキ派のジュール・ミオー(英語版)によって公安委員会設立提案された。公安委員会独裁のもとに、市民戦闘態勢への全面参加要求するとともに市民生活統制する本格的な戒厳布くように要求する提案であった。ルフランセ、クレマンフランケル、ヴァルランらIWA派が人民主権侵害としてこの提案拒絶したが、提案多数支持得て可決した公安委員選出評議会行われアントワーヌ・アルノー、レオ・メイエ、ランヴィエ、フェリックス・ピア、シャルル・ジェラルダンが選出された。しかし、公安委員会コミューン政府国民衛兵との有機的連携統一的な組織運用実現できず、十分な軍事的政治的機能果たせなかった。公安委員会は、『少数派宣言』を提示して設置反対したグループ信任得られかったばかりか、コミューン内部不和作り出し軍事独裁への転換という危険性摘み取るにも十分ではなかった。 一方徴兵制再導入強行することによって兵員増員図り戦闘準備整えた後攻勢を図るとする軍事委員長クリュズレとヴェルサイユ軍に先手をとって即時攻勢主張するパリ要塞司令官のドンブロフスキー(英語版)との間に不和生じていた。これは軍の執権を担うクリュズレや後任のルイ・ロセル(英語版)と衛兵中央ならびに現場指揮官との権限上の縄張り争い、そしてドンブロフスキーに対す妬み起因する個人的争いであった戦時中では極めて非常識なこの二人確執結果戦術面では作戦行動不統一生じ、これはヴェルサイユ軍に付入られる隙を与えた軍人革命家ガリバルディ全軍総司令官であればこのようなことはなかったであろうが、職業軍人の型に嵌まりきったクリュズレとロセルの融通のなさ、国民衛兵革命軍としての性格理解する度量欠如国民衛兵不信感を買い、現場対す指導力喪失させることにつながった。ロセルの軍規強化組織改革試み挫折したほか、コミューン政府指揮命令権弱めてヴェルサイユ軍に対す抗戦能力低下していくことにつながった先立つ4月26日イシ要塞攻撃され要塞5月9日陥落パリ周辺防御線で敗北重ねていき防衛拠点要所次々と喪失していった。ロセルは拠点喪失口実軍事クーデター計画していたが、予想していたほど兵が集まらないまま時が経ち実行する機を逸してしまって「ロセルの陰謀」は不発終わった5月10日コミューン政府への不信から来るロセルの軍事独裁への野心打ち砕かれ軍事委員辞任表明する。ドレクリューズがロセルの後任引き受けて文民陸軍委員」に就任潜伏中のロセルに軍事的助言を受けながらヴェルサイユ軍への抗戦指導していく。 軍事委員長ロセルによる軍事クーデター計画という内憂、そしてヴェルサイユ軍の進軍という外患への恐怖危機打開のために、コミューン政府はついに革命独裁樹立要求屈服するうになる。こうしてブランキ派リゴー中心とした警察機関保安委員会独裁要求して専断的な逮捕横行するなど次第恐怖政治へと移行し始めていた。ついにコミューン評議会内部監視機関となる「公安委員会」が設立される。しかし、パリでは既に内紛激しくなり、各派衝突統一行動できない状況になっていた。

※この「コミューン―苦戦と内紛の発生」の解説は、「パリ・コミューン」の解説の一部です。
「コミューン―苦戦と内紛の発生」を含む「パリ・コミューン」の記事については、「パリ・コミューン」の概要を参照ください。

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