アンジェルッチの怪文書とは? わかりやすく解説

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アンジェルッチの怪文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:29 UTC 版)

カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「アンジェルッチの怪文書」の解説

ルイ15世亡くなったことで復権の手がかりを失い気を落としたボーマルシェであったが、すぐに次の策を見つけ出した。ユダヤ系イタリア人のグリエルモ・アンジェルッチなる男が、イギリスルイ16世夫妻中傷する怪文書制作していることを聞きつけ、これを利用しよう考えたのだ。ルイ16世宛てて自身が父王のためにイギリス赴いて使命完遂したこと、その件に国王陛下(ルイ16世)も重要な関係があること」を認めた手紙送り警察長官のサルティーヌにも同様の内容手紙送って危機感煽ったその結果ルイ16世謁見許され、すぐに中傷文書を闇に葬るように、モランドの時と同様の命令を受け、王の私設外交官となって再びイギリスへ渡ったのであるロンドンには、かつてスペイン滞在中に知己得たロシュフォード卿が政府高官として健在であったボーマルシェは彼を通してこの使命果たそう考えたようだが、ロシュフォード卿の理解得られず、早速行き詰ってしまった。困ったボーマルシェは、国王命令書の送付要請した。その文面まで提案していたり、サルティーヌに同様の手紙送りつける徹底ぶりであった。サルティーヌ宛ての手紙にはアンジェルッチの怪文書の調査報告付されている。ボーマルシェ報告全部事実であったかどうか疑問が残るが、若き国王ルイ16世は「王妃の名誉が穢さようとしている」との報告受けて冷静に思案巡らせるほどの器量持ち主ではなかった。慌てた国王は、ボーマルシェ要請応えて彼の提案した文面命令書に署名行った。 こうしてボーマルシェはアンジェルッチとの交渉入ったが、モランドの時とは違ってなかなか円滑には進まなかった。アンジェルッチが高額な金銭要求してきたため、あれこれ交渉重ね、およそ35000リーヴル支払い合意至った原稿印刷済み4000部の文書ロンドン焼却され、ついでもう一つ怪文書発行予定地であるアムステルダム2人一緒に赴いて同地でも出版予定冊子焼却することとなった。ところが、突然アンジェルッチが金と怪文書原稿コピー持ってニュルンベルク逃走し、そこで怪文書発行する動き見せたボーマルシェはこの裏切りに激怒しすぐさま後を追ったここまで経緯事実として考えていようだが、ここから経過資料不足もあって、虚実織りじっていると考えられる8月14日夕方ニュルンベルクから遠くないノイシュタット町役場に、不思議な客を乗せたという駅馬車御者ヨハン・ドラツが現れ証言残していった。それによれば、ロナクと名乗る男はノイシュタット近く通過中、駅馬車から降りて剃刀手鏡持ち出たところで待つように言い残しの中へ消えていった。その指示に従って待っていると、斧を担いだ3人の後ろから、ハンカチで手に応急処置施したロナク氏が現れたという。ハンカチには手がまみれ、首筋から血が流れているのが見えたのでどうしたのか問うと、盗賊撃たれたと答えた銃声聞いていないドラツは、剃刀自身を傷つけたのだろうと判断しそれ以上深入りしなかったという。 このロナク氏はなぜか近隣の自治体ではなく翌日になってニュルンベルク当局出頭して自身被害訴え出た。その被害報告では盗賊容姿詳細に語られ2人盗賊の名前としてアンジェルッチ、アトキンソンという名前を挙げられている。アトキンソンとは、怪文書発行しようとしていたアンジェルッチの用いていたイギリスであるから、このロナク氏がボーマルシェであることは間違いないし、この被害報告提出動機も明らかである。アンジェルッチの身柄公権力によって抑えあわよくばフランスへ連行しようと考えたのだろうが、それはともかく、1人人間2人分割したこの被害報告には無理があった。なぜこのようなことをしたのか、この件に関してはドラツの証言ボーマルシェの手紙しか資料存在しないため、確かなことはわからないボーマルシェはこの件について、自身英雄のごとく劇的に描いている。 8月21日ボーマルシェシェーンブルン宮殿に赴き、女帝マリア・テレジアとの面会求めたが、取次拒否されてしまった。仕方なくボーマルシェ秘書官に「ご令嬢マリー・アントワネットの名誉が穢さようとしているから、その件をお伝えしに参りました」とのメッセージ託して引き上げた。このメッセージ疑問抱いた女帝は、側近伯爵ボーマルシェ接触させ、その伯爵同席のもとに翌日になって謁見許した。この席の様子ボーマルシェフランス帰国後ルイ16世提出した報告書仔細に語られており、この席でマリー・アントワネットへの忠誠心これまでの顛末偽名用いた理由語り逃走したアンジェルッチから中傷文書奪い取ったことを伝え、この男の逮捕強く進言したという。 ところが、女帝とその側近たちはボーマルシェの話を全く信用していなかった。彼らはそもそもアンジェルッチなる男が存在するのか、そこから疑いをかけていたようだボーマルシェ軟禁状態に置かれ厳し監視下のもとで過ごさなければならなくなった宰相カウニッツは、ドラツの証言調査開始するとともにフランス駐在オーストリア大使通じてフランス政府ボーマルシェ社会的信用尋ねている。実際のところ、アンジェルッチという男の存在長らく証明できなかった。1887年になってようやく、ボーマルシェの手中にこの男の名前があるのが確認されたため、今日においてはボーマルシェ≠アンジェルッチ」であることは確実である。女帝謁見求めた目的として「その感謝獲得してフランス社会での自身復権利用したではないか」との疑いかけられたが、文書差し止めには成功しているのだから、そのまま帰国すれば復権のための計画首尾よく運ぶに違いないので、これも単なる疑いの域を出ていない。 このように考えると、「アンジェルッチがニュルンベルク逃走し、それを知ったボーマルシェが後を追って彼を捕まえ持っていた文書コピー奪い取ったということは間違いない思われる。ただ、ドラツの証言も少し触れられている「盗賊襲われた」という件についてはかなりの疑問が残る結局はきりした事実わからないのだが、研究者中でもこの件についての見解割れている。全くの虚偽狂言断じる研究者もいるが、ボーマルシェ自身証言全面的に支持する者もいる。おそらく、アンジェルッチから怪文書コピー奪い取ったボーマルシェが、自身行為をもっと美化しようとしてでっち上げたのだろう。女帝マリア=テレジア自身売り込み醜聞からブルボン王室救ったとして箔を付ければ、自身復権大いに役立つからだ。しかし、それが通用しなかったことは先述したとおりである。女帝宰相カウニッツ疑い受けて勧められていた調査結果フランス政府からの身元保証もあって、ボーマルシェ軟禁状態から解放され10月2日帰国した。この件に関するカウニッツ書簡残されているが、それによれば最後までボーマルシェ信頼されていなかったようだ

※この「アンジェルッチの怪文書」の解説は、「カロン・ド・ボーマルシェ」の解説の一部です。
「アンジェルッチの怪文書」を含む「カロン・ド・ボーマルシェ」の記事については、「カロン・ド・ボーマルシェ」の概要を参照ください。

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