『宇宙戦艦ヤマト』関連年表
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「西崎義展」の記事における「『宇宙戦艦ヤマト』関連年表」の解説
1973年(昭和48年) - テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を企画。 1974年(昭和49年) - オフィス・アカデミーで『宇宙戦艦ヤマト』を製作。 1977年(昭和52年) - オフィス・アカデミーで『宇宙戦艦ヤマト』(劇場版)を製作。 1978年(昭和53年) - オフィス・アカデミーで『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、アカデミー製作で『宇宙戦艦ヤマト2』を製作。 1979年(昭和54年) - アカデミー製作で『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』、『宇宙戦艦ヤマトII総集編 ヤマトよ永遠なれ!』、『宇宙空母ブルーノア』を製作。 1980年(昭和55年) - アカデミー製作で『メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行』、オフィス・アカデミーで『ヤマトよ永遠に』、東京動画で『宇宙戦艦ヤマトⅢ』を製作。 1983年(昭和58年) - ウエスト・ケープ・コーポレーションで『宇宙戦艦ヤマト完結編』、東京動画で『宇宙戦艦ヤマトIII総集編 太陽系の破滅』を製作。 1984年(昭和59年) - 10月12日付『報知新聞』で「ヤマト復活3ヵ年計画」を発表。その内容は、1985年『宇宙帆船スターシップ』(後の『オーディーン 光子帆船スターライト』)、1986年『DESLAR'S WAR I 戦艦スターシャ』、1987年『宇宙戦艦ヤマト誕生篇』を公開するというもの。 1994年(平成6年) - 2月、バンダイビジュアルよりビデオ『宇宙戦艦ヤマト胎動篇 -ヤマト!!わが心の不滅の艦』発売。映画『宇宙戦艦ヤマト 復活編』とOVA『YAMATO2520』のメイキングプロモーション。 1995年(平成7年) - 2月『YAMATO2520』のVol.1を発売開始。1996年8月発売のVol.3を最後に未完に終わる。 1996年(平成8年) - 『海のトリトン』『ワンサくん』『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙空母ブルーノア』『オーディーン 光子帆船スターライト』などの映像の著作権などを対象とする譲渡契約を東北新社と締結。 1997年(平成9年) - 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権を長男に移転登録。 1998年(平成10年) - 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作権などにつき東北新社と西崎・ウエスト・ケープ・コーポレーションの破産管財人が譲渡契約の履行を選択する。 1999年(平成11年) 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権移転につき、破産管財人が抹消を求めて提訴。東北新社の許諾によりバンダイおよびバンダイビジュアルが製作したプレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト 遙かなる星イスカンダル』および『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の複製・譲渡・貸与の禁止および損害賠償を求めて、西崎が東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルを提訴。 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者が、松本零士であることの確認を求めて、松本が西崎を提訴。 2000年(平成12年) 『宇宙戦艦ヤマト』の著作権などにつき東北新社と西崎・ウエスト・ケープ・コーポレーションの破産管財人の間で譲渡代金の支払の司法和解が成立。著作権者は東北新社であることが確定。 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権移転取消請求事件に東北新社が参加。 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者が、西崎であることの確認を求めて、西崎が松本零士に反訴。 2001年(平成13年) 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権移転登録抹消の判決。 プレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト 遙かなる星イスカンダル』および『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の複製・譲渡・貸与の禁止および損害賠償の請求を棄却する判決。西崎はこれを不服として控訴。 2002年(平成14年) 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者人格権は西崎である旨の判決。松本零士は控訴。西崎も反控訴。 2003年(平成15年) 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者人格権確認訴訟のそれぞれの控訴審は、法廷外で和解。 西崎が著作者、著作者人格権者であることが確定。 2004年(平成16年) 西崎と東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルの間の控訴審で和解が成立。裁判所により和解調書が作成され、3社は「西崎義展が『宇宙戦艦ヤマト』の著作者である旨を公表しても反意を唱えない」ことを確認して了承した。 『新宇宙戦艦ヤマト 復活編』の製作が養子である株式会社エナジオ社長の西崎彰司より発表される。 2007年(平成19年)12月20日、総監修した「宇宙戦艦ヤマト デスラー総統ワインセット」と「宇宙戦艦ヤマト バイクヘルメット」の販売を発表して活動を再開する。 2008年(平成20年) 2月22日に発売される『宇宙戦艦ヤマト』DVD-BOXに特典の監修を担当。これに伴う形で、2月発売の『週刊プレイボーイ』(2月25日号NO.8)と『オトナファミ』の「2008 Apri」で庵野秀明との対談記事により出所後初めてマスメディアに登場した。7月31日に東京都練馬区にアニメスタジオ「ヤマト・スタジオ」を開き、2009年公開のアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の製作を発表。 2009年(平成21年)12月12日、劇場用アニメーション映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』を公開。 2010年(平成22年)11月7日、会社所有の船から転落死。
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