「モノ造り革新」への挑戦
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マツダの業績はフォードの下で回復基調へと転じたが、開発や生産部門の中では、フォードグループの軛から離れ、商品の多様性とコスト低減を両立させる戦略を実行したいとの思いが強まっていた。2005年(平成17年)7月、マツダは好調な業績を背景に長期戦略の策定を始め、10年後の2015年(平成27年)までに全てのマツダ車が世界のベンチマークになるとする目標を設定した。その実現手段として「モノ造り革新」を立案し、開発から生産にいたるまでの全ての業務プロセスを一新する構想をまとめた。 翌2006年(平成18年)末に親会社のフォードに計画の説明に訪れ、否定的な意見に遭いながらも、最終的に黙認に近い形で了承を得るに至った。同時にこれはマツダが失敗してもフォードは手を差し伸べないということを意味し、この時にエンジンの開発方針を分けたことが後の提携解消の契機となった。2007年(平成19年)には技術開発ビジョン「サステイナブル“Zoom-Zoom”宣言」を発表。走る楽しさと環境安全性能の両立を打ち出し、翌2008年(平成20年)6月には2015年(平成27年)までにマツダ車の平均燃費を30%向上させる目標を公表した。 しかしその直後の2008年(平成20年)9月、リーマン・ショックが発生。世界の経済界・産業界は混乱に陥り、自動車産業も深刻な打撃を受けた。経営が悪化したフォードは同年11月に資金調達のため保有するマツダ株の一部を売却したため、出資比率は13%に低下した。これと同時にマツダは副社長の山内孝が社長に昇格する人事を発表し、経営陣をマツダ出身者主体に刷新した。リーマン・ショック後に円相場が急激な円高に振れたことで輸出比率の高いマツダは大きなダメージを受け、2009年(平成21年)3月期には赤字に転落。さらに2011年(平成23年)にかけて東日本大震災やタイの洪水といった事態が続き、最終的にマツダの業績は2012年(平成24年)3月期まで4年連続の赤字に陥った。こうした中、2009年(平成21年)に増資と自社株の売却で933億円、2012年(平成24年)には公募増資と劣後ローンで2,142億円を調達し、研究開発やメキシコ新工場をはじめとする設備投資に必要な資金を捻出した。 2010年(平成22年)10月、マツダは新世代のエンジン、トランスミッション、ボディ、シャシーといった一連の新技術を総称した「スカイアクティブ・テクノロジー」を発表。2011年(平成23年)には新開発したガソリンエンジンのSKYACTIV-Gをデミオに搭載して発売し、他社のハイブリッドカーと同等の燃費性能を実現した。2012年(平成24年)にはスカイアクティブ技術を全面的に採用した車種の第一弾であるCX-5を発売し、ディーゼルエンジンのSKYACTIV-Dを中心に大ヒットを記録。この年にはスカイアクティブ技術を搭載した車種の好調な売れ行きを背景にマツダは黒字に転換した。2013年(平成25年)には専務の小飼雅道が社長に昇格した。 この後もスカイアクティブ技術とデザインテーマ「魂動」を採用した一連の車種は人気を集め、2015年(平成27年)に発売した4代目ロードスターは「世界・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。合わせて日本車としては初の「ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤー」も獲得し、同賞設立以来初めての2部門同時受賞を果たした。2016年(平成28年)3月期決算では過去最高の営業利益2,267億円を記録し、2018年(平成30年)3月期には販売台数が163万台と5年連続で過去最高を更新した。
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