0系とは? わかりやすく解説

0系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 06:48 UTC 版)

0系(0けい)、0形(0がた・0けい)は、0の数字を使用する体系を持つものを指す。0は必ずしも1個のみ使用されるものとは限らない。




「0系」の続きの解説一覧

0系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:23 UTC 版)

こだま (列車)」の記事における「0系」の解説

東海道新幹線では1999年9月18日まで、山陽新幹線では2008年11月30日まで使用された。 0系は、1964年10月1日東海道新幹線開業当初から運用開始当初12編成運行していたが、その後16編成化されたものの、再び12両化(S編成)されたのち、東海道新幹線区間では1989年16編成化(Y編成)された。Y編成指定席車となる9 - 12号車の4両を2+24列シート改造して運用していた。1999年9月18日「こだま」473号(東京名古屋間)の運行をもって東海道新幹線からは撤退した山陽新幹線においては当初東海道新幹線と共通運用で12編成または16編成運行されたが、1985年6月に独自の6両編成R編成)が投入されその後は4両の短縮編成Q編成広島以西限定)も運用された。末期は、2+24列シート(旧ウエストひかり普通席用)を使用したWR編成用いられていた。 11月30日「こだま」659号(岡山博多間)の運行をもって新幹線定期運行から撤退全車引退した東海道「こだま」専用編成原則的に山陽新幹線内乗り入れないものとされたため、一部編成には岡山以西換気方式対応しない車両組み込まれていた。当該編成では識別のため、本来の編成番号50足していた。 0系16編成YK編成) 0系4両編成Q4編成山陽新幹線内では輸送需要合わせ短縮編成組成された。

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0系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 03:26 UTC 版)

長野電鉄0系・10系電車」の記事における「0系」の解説

第7回1967年ローレル賞受賞車両カテゴリ / ■テンプレート 0系は、単線区間介在することによって車両編成や運転本数制限のあるラッシュ輸送対応する目的で、20m級車体片側4箇所乗降扉を採用した車両として1966年2両編成2本の計4両が日本車輌製造製造された。 系列名には、木造旧型車の淘汰進んだことで空きとなっていた100未満数字用いられ制御電動車モハ0形、制御車クハ50形とされた。 日本初めFRP車両正面全面採用した車両であり、地方私鉄として積極的なラッシュ対策施したことが合わせて評価され1967年昭和42年)度鉄道友の会ローレル賞受賞した車体は、長さ19,500mm(連結器20,000mm)、幅が2,740mm。客用扉は、1,300mmの両開扉片側につき4か所備えるが、運転台直後にも側窓と座席配置している。これは運転室直後換気良くすることをねらったものであり、他社では相模鉄道6000系近畿日本鉄道南海電気鉄道通勤車などにもみられ、側面の窓配置相鉄6000系類似している。座席ロングシート採用し定員は160名。うち座席定員54名であり、ドアいっぱいまで座席配置することで通勤通学利用客以外への着席サービス向上図っている。 赤2号クリーム4号による塗り分け警戒色の意味兼ねて本系列にあわせてデザインされ在来車にもおよんでいく。FRP製の前面は、踏切破損防止のため前照灯尾灯方向幕上部まとめている。方向幕種別表示行き先表示上下二段表示する。ここには当時としては珍しい「各駅停車表示もされたが、これは同社1100形登場時、特急勘違いする旅客存在した事例受けて用意されたものである行先には分割運転を見越して湯田中木島」の表示第一編成登場時から備えていたほか、側面にも電動操作できる行先種別幕装備する。これは当時まだ他に国鉄481系くらいし類例のない先進的な設備であった台車は、枕ばねオイルダンパ併用のインダイレクトマウント式コイルばね、軸箱支持ペデスタル式であり、密封ころ軸受け採用した台車形式はNA-18形およびNA-18A形(モハ0)、NA-18T形およびNA-18AT形(クハ50いずれも日本車輌製造における形式)であり、前者車輪径910mmであるのに対し後者車輪径860mmであった電動車モハ)の動輪径が大きいのは、当時狭軌最大級であった135kWの主電動機を装し、なおかつWN継手採用するためである(長野電鉄2000系電車#狭軌用WN駆動装置参照)。 朝ラッシュ時間帯には2編成併結した4両編成での運用を行うため、先頭部には回り子式密着連結器装備していたが、2500系導入後密着自動連結器交換された。4両編成運用自体についても2500系導入後同系置き換えられている。 20m4扉構造採用され背景として、長野電鉄沿線には各種学校立地し長野都心エリアだけでなく途中駅での乗降錯綜することがあった。観光輸送考慮した座席数の多い2扉車では、19m級車体備えモハ1100形クハ1150形3両編成をもってしても乗降時間延びによる遅延多発し、特に冬季乗降遅延は緊急の改善が必要とされたためである。さらに、2両編成在来3両編成収容力持たせる事で、全体車両数削減狙った大型4扉車であるため、冬季車内保温のための中央2扉の締め切り装置と、一部ホーム延長の短い駅でのドアカット対応するための最後車両の扉締め切り装置備えている。 主目的通勤通学対応もさることながら山の内線急勾配区間走行配慮した大出主電動機採用していたことから、長野電鉄全線幅広く運用された。特に、朝ラッシュ時間帯は2本を連結した4両編成とし、線内最大輸送力列車として運行された。構想として数年のうちに5編成導入し乗務員含めた運用効率の向上を図る事としていたが、以後増備利用客減少に伴い中止された。 後述10系導入後は「OS1」とも呼ばれた最終的には主に長野 - 湯田中須坂信州中野)間で運用されたが、ワンマン運転対応改造難しく発電ブレーキ装備していないなどの運転上の制約もあり、長野オリンピック目前控えた1997年平成9年)、3500系置き換えられる形で廃車された。 廃車後、しばらくはモハ1 - クハ51編成静態保存前提として須坂駅構内留置されていたが、2002年解体処分されたため現存しない。

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RAIL WARS! -日本國有鉄道公安隊-」の記事における「0系」の解説

かつての新幹線車両で、既に引退している。

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山陽新幹線」の記事における「0系」の解説

詳細は「新幹線0系電車」を参照 1964年昭和39年)の東海道新幹線開業時に国鉄投入した車両で、1986年昭和61年)までの20年以上にわたって3,216両が製造された。このため製造年度によって様々な仕様がある。登場時の最高速度210 km/h1986年昭和61年11月1日100系合わせ220 km/h引き上げられた。 全電動車方式採用し、2両単位編成増減することが可能である。普通車グリーン車のほか、ビュフェ食堂車などの供食サービスを行う車両組み込み12両ないし16編成増備進められた。 またトンネル多くなったことにより、車内気圧変動対策換気遮断する回数増えるため、後から開業した岡山駅以西では連続換気方式採用された。そのため、1973年昭和48年以前製造された0系車両組み込んだ編成岡山駅以西への乗り入れができなかった。東海道「こだま」編成のS編成やY編成では、岡山以西乗り入れ禁止編成識別するため、編成番号を本来の編成番号+50としていた。 東海道新幹線比べ輸送規模小さい山陽新幹線では需要合わせた短編成化実施された。国鉄末期1985年昭和60年)には山陽新幹線内「こだま」用として普通車のみの6両編成登場JR西日本となってからは、座席一列4人掛けとするなどの車内改良実施した6・812両の「ウエストひかり」も登場した晩年4両編成加わり2008年平成20年)までもっぱら「こだま」用いられた。

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JR東海の車両形式」の記事における「0系」の解説

1964年10月1日開業以来使用されてきた車両JR東海には1,339両(「ひかり」16編成53本、「こだま」12編成38本、保留車35両)が承継された。最高速度220 km/h引き上げられていた。

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ひかり (列車)」の記事における「0系」の解説

開業時から充当第一世代車両である。短編成化され山陽新幹線のみの運転(「ウエストひかり」など)となった時期もあった。1964年10月1日「ひかり」1号・2号東京 - 新大阪間)で運用開始し2000年4月21日「ひかり」359号(SK9編成充当ウエストひかり新大阪博多間)をもって定期運用から撤退したその後2008年12月14日「ひかり」347号(新大阪博多間)をもって臨時運用から撤退して運用終了した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:51 UTC 版)

新幹線編成記号」の記事における「0系」の解説

東海道新幹線運行開始した当初は、全ての編成が同じ組成だったため、車両製造したメーカー名アルファベット数字組み合わせたメーカー別の編成記号使用していた。当時使用されていたのは、日本車輌製造製…N(Nippon編成汽車会社製…K(Kisha)編成川崎車輛製…R(River編成近畿車輛製…S(Short編成日立製作所製…H(Hitachi編成であった。また1966年6月6次車製造から東急車輛製造製…T(Tokyu編成加わった1966年10月1日以降「ひかり」「こだま」別の組成となり、その後1969年より順次実施され16編成化後も、しばらくはメーカー別の編成記号であった(ただし、16編成増結した編成編成番号末尾にAを付け、N4Aなどと呼称されていた)が、1972年3月15日山陽新幹線岡山開業合わせ「ひかり」編成をH(Hikari編成「こだま」16編成をK(Kodama編成「こだま」12編成をS(Short編成とする方式変更され一方で16編成暫定的に付与されていたAは消滅した。S編成「こだま」16編成揃えるまでの暫定的な編成名との位置づけのため、すぐに消滅した1976年以降、0系1000番台(以下「小窓車」と表記)では小窓化や身障者対応設備新設など、大幅な仕様変更図られることになったため、小窓車だけで組成された「ひかり編成」をN(New編成在来車と小窓車が混在している「ひかり」編成NHNew Hikari編成変更することになった。なお、1979年以降には「こだま」編成でも小窓車への置き換え開始されたが、この際には先頭車置き換えた場合編成記号50加算し中間車置き換え場合編成記号そのまま対応していた。 1985年3月14日ダイヤ改正では「こだま」編成12編成となり、S編成復活した具体的に編成記号先頭車小窓車の場合にはSKShort Kodama編成先頭車が大窓車の場合はS(Short編成変更された。同年6月からは、山陽新幹線小倉 - 博多専用編成として6両編成登場したが、既にShort頭文字使っていたため、R(Rokuryo)編成となっている。このR編成運用区間はのちに山陽新幹線区間広がった1987年4月日本国有鉄道国鉄)の分割民営化により、東海道新幹線東海旅客鉄道JR東海)に、山陽新幹線西日本旅客鉄道JR西日本)にそれぞれ引き継がれたが、編成記号そのまま引き継がれることになった1989年から、JR東海所有「こだま」編成16編成化を実施することになり、S編成16化したものはY編成SK編成16化したものはYK編成変更された。 一方JR西日本では「ウエストひかり」を新設6両編成の「ウエストひかり編成WRWest Rokuryo)、12編成の「ウエストひかり編成シネマカーのない編成WKWest Kodama編成シネマカー組込編成がWKV(VはVideoから)となった。ただし、これらの編成記号WR編成R編成50番台で、WK・WKV編成SK編成表記されていた。後にWKV編成WK編成組成変更され、WKV編成消滅した1997年には、JR西日本の0系に4両編成登場、Q(Quarterクォーター)・4分の116両の4分の1なので))編成となった1999年9月18日をもって0系の東海道新幹線での定期運用終了これに伴い0系の16編成消滅2000年に「ウエストひかり」の運用離脱に伴い登場したSK編成WK編成)を6両に組成変更した「こだま」用のWR編成R編成60番台表記された。 2001年10月Q編成消滅2008年11月30日をもって最後まで残ったR編成3本 (R61, R67, R68) が定期運転を終了12月14日さよなら運転をもって0系の営業運転全て終了した。 0系 編成記号一覧記号編成番号所属事業者両数最高時速運用状況備考HH1 - H16国鉄 1216 210 1964年 - 1972年 日立製作所製 H1 - H96国鉄JR東海JR西日本 16 210220 1972年 - 1997年 「ひかり」編成食堂車連結。大窓車のみ NN1 -N16国鉄 1216 210 1964年 - 1972年 日本車輌製 N97 - N99国鉄JR東海JR西日本 16 210220 1976年 - 1992年 「ひかり」編成食堂車連結小窓車のみ NHNH1 - NH40,NH43,NH46,NH48,NH49,NH54,NH61,NH67,NH82,NH88,NH97,NH99国鉄JR東海JR西日本 16 210220 1976年 - 1999年 「ひかり」編成食堂車連結。大窓車・小窓車混結 KK1 - K16国鉄 1216 210 1964年 - 1972年 汽車会社製 K1 - K47,K51 - K54,K56,K58,K59,K65,K75 - K78,K82,K83,K85 - K88,K90国鉄 16 210220 1972年 - 1985年 「こだま」編成ビュフェ車連結。K51編成以降先頭車小窓 TT11 - T15国鉄 1216 210 1967年 - 1972年 東急車輛SS1 - S16国鉄 1216 210 1964年 - 1972年 近畿車輛S1 - S47,S73 - S78,S80,S81,S86,S88,S93 - S95,S98国鉄・JR東海 12 210220 1972年,1973年1984年 - 1991年 「こだま」編成ビュフェ車連結 SKSK2,SK4 - SK14,SK16 - SK21,SK26,SK27,SK32,SK33,SK44,SK57,SK58,SK70,SK78,SK79,SK82 - SK85,SK87,SK89 - SK93,SK96,SK97,SK99国鉄JR東海JR西日本 12 210220 1984年 - 1991年 「こだま」12編成ビュフェ車連結先頭車小窓 SK5,SK10,SK17,SK19,SK25,SK46JR西日本 12 220 1988年 - 2000年ウエストひかり12編成ビュフェ車連結。2列+2列シートWK編成とも呼称される SK19,SK25JR西日本 12 220 1988年 - 1994年ウエストひかり12編成ビュフェ車シネマカー連結。2列+2列シート。WKV編成とも呼称される YY1,Y15,Y22 - Y24,Y28,Y29,Y36,Y45,Y73,Y80JR東海 16 220 1989年 - 1996年 「こだま」16編成ビュフェ車連結 YKYK2 - YK4,YK6 - YK9,YK11 - YK16,YK18,YK20 - YK22,YK24,YK26 - YK45,YK49,YK57,YK58,YK70,YK81,YK87,YK89 - YK93,YK99JR東海 16 220 1989年 - 1999年 「こだま」16編成ビュフェ車連結先頭車小窓 RR1 - R16国鉄 1216 210 1964年 - 1972年 川崎車輛製 R1 - R31国鉄・JR西日本 6 210220 1985年 - 2005年 「こだま」6両編成 R51 - R54JR西日本 6 220 1988年 - 1994年ウエストひかり6両編成ビュフェ車連結。2列+2列シートWR編成とも呼称される R51 - R53JR西日本 4 220 1997年 「こだま」4両編成1997年末にQ編成改名 R61 - R68JR西日本 6 220 2000年 - 2008年 「こだま」6両編成一部ビュフェ車連結。2列+2列シート。白/青からフレッシュグリーン色に塗色変更最後まで残ったR61,R67,R68の3編成2008年4月以降順次白/青カラー復元WR編成とも呼称される QQ1 - Q6JR西日本 4 220 1997年 - 2001年 「こだま」4両編成

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)

新幹線車両」の記事における「0系」の解説

東海道・山陽新幹線初代車両東海道新幹線開業時から1986年まで、38次のマイナーチェンジ重ねながら延べ3,216両が製造された。このため製造年度によって様々な仕様がある。登場時の最高速度210 km/hだが、後に100系合わせ220 km/h引き上げられた。

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0系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:37 UTC 版)

東海道新幹線」の記事における「0系」の解説

詳細は「新幹線0系電車」を参照 1964年昭和39年)の開業時国鉄投入した車両である。1986年昭和61年)までの20年以上にわたって3,000両あまりが製造され製造年度によってさまざまな仕様がある。登場時の最高速度210 km/hであったが、1986年昭和61年11月1日ダイヤ改正から100系合わせ220 km/h引き上げられた。 全電動車方式採用し普通車グリーン車のほか、ビュフェ称する軽食サービス提供する車両組み込み12編成登場したその後1970年昭和45年)の大阪万博輸送対応するため16編成登場1975年昭和50年)には、山陽新幹線全線開業合わせ食堂車組み込まれた。 晩年もっぱら「こだま」用いられ指定席一列4人掛けとするなどの車内改良実施された。1999年平成11年)に後継車両への置き換えに伴い東海道新幹線での営業運転終了

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0系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 17:30 UTC 版)

長野電鉄0系電車」の記事における「0系」の解説

第7回1967年ローレル賞受賞車両 0系は、単線区間介在することによって車両編成や運転本数制限のあるラッシュ輸送対応する目的で、20m級車体片側4箇所乗降扉を採用した車両として1966年2両編成2本の計4両が日本車輌製造製造された。製造経緯から、Officemen & Students Car頭文字取りOSカー愛称があった。 系列名には、木造旧型車の淘汰進んだことで空きとなっていた100未満数字用いられ制御電動車モハ0形、制御車クハ50形とされた。 日本初めFRP車両正面全面採用した車両であり、地方私鉄として積極的なラッシュ対策施したことが合わせて評価され1967年昭和42年)度鉄道友の会ローレル賞受賞した車体は、長さ19,500mm(連結器20,000mm)、幅が2,740mm。客用扉は、1,300mmの両開扉片側につき4か所備えるが、運転台直後にも側窓と座席配置している。これは運転室直後換気良くすることをねらったものであり、他社では相模鉄道6000系近畿日本鉄道南海電気鉄道通勤車などにもみられ、側面の窓配置相鉄6000系類似している。座席ロングシート採用し定員は160名。うち座席定員54名であり、ドアいっぱいまで座席配置することで通勤通学利用客以外への着席サービス向上図っている。 赤2号クリーム4号による塗り分け警戒色の意味兼ねて本系列にあわせてデザインされ在来車にもおよんでいく。FRP製の前面は、踏切破損防止のため前照灯尾灯方向幕上部まとめている。方向幕種別表示行き先表示上下二段表示する。ここには当時としては珍しい「各駅停車表示もされたが、これは同社1100形登場時、特急勘違いする旅客存在した事例受けて用意されたものである行先には分割運転を見越して湯田中木島」の表示第一編成登場時から備えていたほか、側面にも電動操作できる行先種別幕装備する。これは当時まだ他に国鉄481系くらいし類例のない先進的な設備であった台車は、枕ばねオイルダンパ併用のインダイレクトマウント式コイルばね、軸箱支持ペデスタル式であり、密封ころ軸受け採用した台車形式はNA-18形およびNA-18A形(モハ0)、NA-18T形およびNA-18AT形(クハ50いずれも日本車輌製造における形式)であり、前者車輪径910mmであるのに対し後者車輪径860mmであった主電動機三菱電機製のMB-3068-A型が各電動台車に2基ずつ搭載され出力当時狭軌最大級であった135kWとされた。駆動方式WN継手採用され歯車比92:15 =1:6.13に設定されている。(長野電鉄2000系電車#狭軌用WN駆動装置参照)。制御装置三菱電機製のABFM-184-15MHがモハ一基搭載された。 朝ラッシュ時間帯には2編成併結した4両編成での運用を行うため、先頭部には回り子式密着連結器装備していたが、2500系導入後密着自動連結器交換された。4両編成運用自体についても2500系導入後同系置き換えられている。 20m4扉構造採用され背景として、長野電鉄沿線には各種学校立地し長野都心エリアだけでなく途中駅での乗降錯綜することがあった。観光輸送考慮した座席数の多い2扉車では、19m級車体備えモハ1100形クハ1150形3両編成をもってしても乗降時間延びによる遅延多発し、特に冬季乗降遅延は緊急の改善が必要とされたためである。さらに、2両編成在来3両編成収容力持たせる事で、全体車両数削減狙った大型4扉車であるため、冬季車内保温のための中央2扉の締め切り装置と、一部ホーム延長の短い駅でのドアカット対応するための最後車両の扉締め切り装置備えている。 主目的通勤通学対応もさることながら山の内線急勾配区間走行配慮した大出主電動機採用していたことから、長野電鉄全線幅広く運用された。特に、朝ラッシュ時間帯は2本を連結した4両編成とし、線内最大輸送力列車として運行された。構想として数年のうちに5編成導入し乗務員含めた運用効率の向上を図る事としていたが、以後増備利用客減少に伴い中止された。 後述10系導入後は「OS1」とも呼ばれた最終的には主に長野 - 湯田中須坂信州中野)間で運用されたが、ワンマン運転対応改造難しく発電ブレーキ装備していないなどの運転上の制約もあり、長野オリンピック目前控えた1997年平成9年)、3500系置き換えられる形で廃車された。 廃車後、しばらくはモハ1 - クハ51編成静態保存前提として須坂駅構内留置されていたが、2002年解体処分されたため現存しない。

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