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タイペイ 【台北】

⇒たいほく(台北)

たいほく 【台北】



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台北市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 08:14 UTC 版)

(台北 から転送)

台湾 台北市
別称: 北市
Chiang Kai-shek memorial amk.jpg
地理
Taiwan ROC political division map Taipei City (2010).svg
座標: 北緯25度5分27.8秒
東経121度33分35.4秒
面積: 271.7997 km²
各種表記
繁体字: 臺北
日本語読み: たいほく
漢語: Táiběi
通用: Táiběi
ウェード式: T'ai-pei
注音符号: ㄊㄞˊ ㄅㄟˇ
片仮名転写: タイペイ
台湾語: Tâi-pak
客家語: Thòi-pet
行政
台北市旗
台北市徽
台北市旗
台北市徽
行政区分: 直轄市
下位行政区画: 12市轄区
政府所在地: 信義区市府路1号
台北市長: 郝龍斌中国国民党
公式サイト: 台北市政府
情報
総人口: 2,650,968 人(2011年12月)
市外局番: 02
台北市の木: ガジュマル(榕樹)
台北市の花: ツツジ(杜鵑)
台北市の鳥: 台湾藍鵲(臺灣蘭鶴)

台北市(タイペイし / たいほくし、繁体字中国語:臺北市、英語:Taipei)は、中華民国首都直轄市)。

261万人以上(2010年11月)が居住しており、市域の人口では新北市に抜かれたものの、中華民国の実質的な中心都市である。台湾最大の都市圏である台北都市圏の中枢都市であり、アジア屈指の世界都市でもある。面積は約272平方キロメートルで四方を新北市に囲まれている。

日本統治時代はタイホクと日本語読みしていた。現在でもNHKの放送ではタイホクの呼称を採用している。北京語発音ではタイベイ (Táiběi) 、台湾語発音ではダイパク (tâi-pak) である。

目次

地理

台北市は急速な人口増加のため、台北盆地の山際にまで都市化が進展している。北部は夜市で有名な士林、山の手高級住宅地の天母温泉で有名な北投から、外港として栄えた淡水にいたる。中心部は古くから栄えた地域であり、日本時代の建築や清時代の遺構が多い。総統府、台北最古の寺、龍山寺もここにある。南部には茶の産地である木柵を擁する。

地形

台北市は台北盆地に位置し、大屯火山群(休火山)が市北部北部に位置し、市南部の円山、大直、内湖に向かって緩やかな傾斜を生み出している。最高海抜は七星山の1,120mであり、続いて大屯山の1092mが続いている。山間部の中心は北投の外延に広がる火山地帯である。市東部の内湖南港及び南部の木柵では丘陵地帯となっており、標高約300mの南港山系(拇指山系)が広がっている。

水系

台北市内は淡水河の流域に分類される。淡水河は主流以外に支流の新店渓が大同区(大龍峒、大稲)、万華、公館、景美などの地域を流れている。

基隆河は関渡一帯にて淡水河より分岐し、社子、士林、大直、内湖、松山、南港を経た後に台北県汐止基隆市暖暖などへと流れている。河道が湾曲していることから、かつては大雨ごとに水害が発生していたが、現在は士林、内湖、南港の河道を修正する工事を行い水害被害を防ぐ治水事業が完成している。

これ以外には景美渓は景美にて新店渓より分岐し、景美、木柵を経て新北市深坑区へと流れている。双渓は士林、北投境界一帯より基隆河が分岐したものであり、磺渓はその双渓より分岐している。双渓は芝山岩、外双渓谷(故宮博物院附近)を流れ、鉱渓は石牌、天母などを流域に含んでいる。

気候

台北市は北緯25度付近の東アジア大陸と太平洋の間に位置し、モンゴル高気圧と温暖湿潤な太平洋高気圧の影響を受けた亜熱帯気候が特徴である。台湾では四季の変化が顕著な地域であり、一般に3~5月を春、6~8月を夏、9~11月を秋、12~翌年2月を冬としている。

台北の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 ℃ (°F) 18.9
(66)
19.3
(66.7)
21.9
(71.4)
25.9
(78.6)
28.8
(83.8)
31.9
(89.4)
34.1
(93.4)
33.5
(92.3)
31.2
(88.2)
27.8
(82)
23.9
(75)
20.7
(69.3)
26.5
(79.7)
平均最低気温 ℃ (°F) 13.3
(55.9)
13.6
(56.5)
15.3
(59.5)
18.7
(65.7)
21.9
(71.4)
24.3
(75.7)
25.8
(78.4)
25.6
(78.1)
24.3
(75.7)
22
(72)
18.6
(65.5)
15.1
(59.2)
19.9
(67.8)
降水量 mm (inches) 86.5
(3.406)
165.7
(6.524)
180
(7.09)
183.1
(7.209)
258.9
(10.193)
319.4
(12.575)
247.9
(9.76)
305.3
(12.02)
274.6
(10.811)
138.8
(5.465)
86.2
(3.394)
78.8
(3.102)
2,325.2
(91.543)
出典: 中央気象局[1] 1971-2000

歴史

重熙門
台北101 高さ509メートルの建造物である

台北はもともと平埔族と呼ばれる原住民ケタガラン族)の住む土地であったが、代の初め頃より漢民族が居住するようになった。また大航海時代になると台北市郊外にある淡水にスペイン人が城を作り、欧州人の活動拠点の一つとなった。清国になると、当初清政府は「化外の地」として台湾島への渡航自体を制限していたが、やがてなし崩し的に制限は解除され、漢民族の移住は活発化し、台北は「一府二鹿三艋舺」と三大都市の一つに数えられるほど栄えるようになった。「府」とは清朝統治の中心であった台南、「鹿」とは台湾中部の鹿港艋舺とは台北(厳密には現在の万華地区周辺の古称)のことである。字が示すように、元々台北は水運から発達した。

台南と比べると都市形成の点で後進的であった台北であるが清末には都市化が進行し、1875年には清政府による台北府の設置と台北城の建設が始まった。1882年に方形の城壁が張り巡らされ、1885年には台湾省が設置されて台北はその省都となるなど台北は中国的近代都市として成長を遂げた。巡撫として派遣された劉銘伝は電灯、電報、鉄道などのインフラを整備し、また都市整備のため大陸の商人資本を集めて興市公司を設立するなどの政策を次々と遂行し、ここに「清国人の都市としての」台北は着々と発展していった。現在台北市の行政区を囲むように点在する四つの城門は、当時を偲ばせるものであるが、福建様式の一つを除いた残りの門は国民政府以降に作られたため北京様式である。

しかしながら日清戦争敗北によって清国が台湾割譲を余儀なくされるとこうした流れは一転し、台北は日本的近代都市として新たな成長期を迎えることとなった。

1895年日本統治が始まると、日本は独立派の勢力が強く、日本からも遠い台南を嫌って台北に総督府を設置、台北の本格的発展はこの時点から始まった。初代民政長官に就任した後藤新平は、清朝が築いた市街の城壁を撤去、街路を建設し、また上下水道を整備するなど近代都市建設を進めた。1901年に台風被害があり、在来建造物が壊滅的被害を受けると、それを期に中国式建築が一掃されて代わりにレンガ造り・石造りで三階建ての官庁・学校・銀行・会社などが林立し、市街の光景を一変させた。その後も市域の拡大や周辺農地の治水・開墾が進められ、日本本土からの移住者も多数にのぼった。さらに経済的にも軽工業や農産物の生産などにより次第に影響力を強めた。このような中、市民生活も豊かになり西門町では数多くの映画館が立ち並び、また台北郊外の北投温泉は、日本有数の温泉地として整備され台湾の内外から多くの湯治客・観光客を集め、1923年には皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)も行啓した(天皇が来訪した温泉場も現存する)。このように日本統治下において台北は台湾の政治・経済・観光・軍事の中心地として栄えた。

戦争が始まると、台湾は南進基地として利用され、台北には本土からの軍隊が往来するようになった。それを狙って米軍による空爆も開始され、市民は疎開を余儀なくされた。


戦後は日本人は引き上げ、代わりに蒋介石率いる国民党軍が駐留するようになった。国民党は兵士やその家族を引き連れて居留したため、台北の人口は一気に跳ね上がった。国民党は中華文化を称揚する政策をとり、台北の日本建築は中華式のものに立て替えられたり、中正紀念堂故宮博物院円山大飯店などの中華様式のモニュメント的建築が建てられた。栄町・旭町などの日本式の名前を持っていた町や通りも、中山路・民族路などの中華式のものに改められた。

国民党政府は開発独裁をしき、軍事や経済発展を優先したため、台湾経済は飛躍的に発展し、中心地である台北も人口増が相次いだが、民生は後回しにされていたため、台北の交通渋滞や公害問題は悪化していった。それを解決するために台北駅の地下化、地下鉄建設、排気規制などが計画されたが、ほとんど実行されなかった。

これらの政策が実行に移されるようになったのは、民主化の進んだ1990年代前後からであり、台北の都市環境は飛躍的に整備されるようになった。

現在

西門町

IT経済化、さらにバイオなどの知識集約経済化を進める台湾では、台北を中心とした地域の重要性がさらに高まっている。しかし台北市内には余剰空間が不足しているため都市の発展は周辺部に波及し、台北都市圏を形成している。特に台北から板橋台湾桃園国際空港へ至る回廊は人口が密集し、移動人数に対処するため新交通システムが建設または計画されている。2006年までの台北大都市圏(台北市、新北市基隆市)の人口は676万人を数え、香港と同規模の都市圏を形成している。2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、第39位の世界都市に選ばれている[2]

また台北市南部には台湾に出稼ぎにきたフィリピンミャンマー人らが密集して居住する地域が存在している。これらの地域は従来交通不便地であったが、交通インフラの整備により急速にベッドタウン化が進んでいる。

2006年には高雄市との高速鉄道の完成に伴い、それまで工業都市として発展していた高雄地区が工場の海外移転及び脱工業化にともない産業が空洞化したことで、高雄都市圏の人口を吸収する可能性も指摘されている。






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