識者の見解
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報道を受けて、社会学者の河合薫は自身のメールマガジンにて、「社員の自殺も他人事か。電通グループ会社「隠れ残業」の罪」と題した論考を発表。 親会社である電通の過労自殺を題材に、「『長く働くことで成果を出す』のが成功だと考える経営者がいる限り、過労死や過労自殺は絶対になくなりません」との見解を示した。
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識者の見解
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産経新聞は、元官房長官の仙谷由人が「憲法解釈は政治性を帯びざるを得ない。その時点で内閣が責任を持った憲法解釈を国民、国会に提示するのが最も妥当な道だ」と語り、内閣法制局長官の国会答弁を認めず法令解釈担当相まで置いたことを指摘し、民主党の政権時代との食い違いを批判した。 元内閣法制局長官の阪田雅裕は「ほとんどの憲法学者は、現在の自衛隊が戦力に当たらないというのはおかしい、自衛隊は違憲だという立場だろう」と憲法学者の現状を指摘した。
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「聖域なき構造改革#不良債権処理」も参照 1990年代後半の邦銀が保有する不良債権の処理のために投入された公的資金は46.8兆円となった。 経済学者の植田和男は、不良債権とその処理の遅れが借り手・貸し手の双方に悪影響を与え、貸出・投資の低下、実体経済の停滞に繋がったしている。 2001年の日本興業銀行調査部によると、バブルの後始末としての不良債権処理は、1997年には終了していたとされている。また、日本興業銀行は、1%のデフレーションで不良債権は5.6兆円増加すると試算していた(2001年時点)。 不良債権を1兆円処理するごとに15000人の失業者を生むという試算もあった。 森永卓郎は「1996年頃には、首都圏の商業地の地価はバブルが始まった1986年頃の水準に戻っている。つまり、バブルの調整は終わっている。1996年以降に発生している不良債権は、不動産価格の下落・景気低迷による経営悪化、つまりデフレの深化によるものである」と指摘している。 経済学者の野口悠紀雄によれば、破綻金融機関の処理で確定した国民負担の総額は、2003年3月末までで10兆4326億円に上ったが、国民負担の事実は一般には認知されていないとしている。 リチャード・ヴェルナーは、正しい不良債権処理として、日銀が簿価で買い取る方法を提案していた。この方法は二つの強みがあるとしていた。まず、オンラインですぐに決済できる。そして、納税者に負担をかけない(クラウディングアウトが起きない)。モラルハザードの指摘に対しては、そもそも不良債権問題を拡大した責任は都市銀行よりむしろ日銀の政策決定者にあると説明していた。 経済学者の野口旭、田中秀臣は「不良債権が存在しない経済とは、リスク・不確実性の無い経済であるが、それは強固に統制された社会主義経済か、リスクをすべて政府が負担する『政府依存型』の経済以外にない」と指摘している。
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識者の見解
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経済学者の竹中平蔵は「規制改革と官業の民間開放が、成長戦略の基礎である」と指摘している。 経済学者の伊藤元重は「成長戦略というと個別分野の政策を並べることになりがちであるが、マクロ経済の視点が必要である」「成長戦略を論じる際には、『サプライ・サイド(供給)』と『ディマンド・サイド(需要)』という視点が重要である。成長戦略に関わる多くの政策はサプライ・サイドに働きかけるものであり、規制緩和、市場開放、税制変更などは、いずれもサプライ・サイド政策である」「供給サイドからの成長戦略が日本の持続的成長のために重要である。規制改革・市場改革などによって日本の潜在成長率を上げ、中長期の成長率を押し上げようというのが成長戦略の狙いである」と指摘している。 エコノミストの岩田一政は「長期的に実質消費水準が下がっていく事態を打開するには成長戦略しかない。生産性を上げる一番の大きな要因は開放経済である」と指摘している。 経済学者の野口悠紀雄は「多くの人は、『今後成長が期待される分野を政府が選び出し、それに補助を与えて育成することが成長戦略である』と考えている。実際、民間企業の経営者が『成長戦略が必要』という場合、それは『政府の補助が必要』というのとほぼ同義である。また、各省庁にとっては『成長戦略』とは、予算獲得のための手段である。しかし、こうした傾向の成長戦略には大きな問題がある。それは、どの分野が成長できるかは事後的にしか分からない場合が多いからである」と指摘している。 経済学者のポール・クルーグマンは「経済成長を確実にできる方法を発見すれば、世界中から貧困問題がなくなる。経済学もいらなくなる」と批判している。 経済学者の土居丈朗は「政府の計画的な成長戦略に依存・期待すべきではない。政府の力で経済成長率を直接的に高めることなど到底不可能である。政府にできることは過剰な介入を排する程度に限られている」と指摘している。 経済学者の原田泰は「特定産業への肩入れではなくて、規制緩和に尽力するのが成長戦略になる。成長戦略は産業政策ではなく、規制緩和、市場開放、民営化、減税でなければならない」と指摘している。 経済学者の高橋洋一は「経済成長のためには役所がでしゃばらないほうがよい。役所の最善の経済政策(成長戦略)は『何もしない』ことである」「政府の成長戦略も、特定産業の選り好みではなく、国民に『成長産業』を選んでもらいという、逆転の発想が必要である」と指摘している。 伊藤元重は「もし成長戦略がサプライサイドで効いてくるとしたら、物価を下げる要因として働きかねない。需要が増えない中で供給力だけが増えれば、物価を下げる圧力として働く」と指摘している。 エコノミストの片岡剛士は「民間向けの成長戦略については、潜在成長率をどれほど押し上げるか未知数の部分が大きく、期待できない。アイデアはあるが金はないという人たちの金回りをよくすることが、政府の最大の役割なのではないか」と指摘している。
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識者の見解
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経済学者の原田泰、大和総研は「グローバル化の進展が喧伝されたのは、1991年のソ連崩壊がきっかけである」と指摘している。経済学者の竹中平蔵は「1990年代に起きたグローバリゼーションの原因は、東西冷戦の終結であり、それまでの世界経済の構造が根本的に変化してしまった。冷戦が終結したということによって東側の国々が市場経済になだれ込み、市場経済の中に住む人口が急激に増加した。このことによって、市場が2倍となり、世界的な激しい競争が起こった」と指摘している。 「冷戦の終了と新興工業国の登場によって、各国が互いに激しい競争を繰り広げあうグローバルな市場競争が築き上げられつつある」という議論について、経済学者の野口旭、田中秀臣は「経済のミクロ的な非効率とマクロ的な停滞を峻別する視点がまったくない」と指摘している。 経済学者の伊藤修は「需要と供給の両面を持たない経済などなく、財・サービスを供給するだけで需要しない国などない。旧共産圏が参加することで単純に供給過剰になったということはありえない」と指摘している。 経済学者の中谷巌は、世界経済の不安定化について、金融・情報など多様なネットワークがグローバル資本主義の中で進化した結果、個別地域の異変が世界に急速に波及し、経済の不安定化と危機を常態化したとしている。 経済学者の宮本又郎は「かつて先進国に独占されていた工業製品市場がグローバル化し、需要・供給ともに新規参入が容易となり、企業の価格支配力は低下した」と指摘している。 経済学者の堂目卓生は「貿易・金融のグローバル化は、各国の経済に大きな影響を与えるようになり、国家は貿易・国際金融に対して戦略的な政策を迫られている」と指摘している。 経済学者の伊藤元重は「市場経済が世界に拡大することによって、先進国と途上国との間の所得格差の拡大、途上国内の貧富の差の拡大、地球環境の問題が深刻になっている。グローバルな世界の中、安易に市場経済化を広げることが正しいかどうか論議が出てきている」と指摘している。 経済学者の岩井克人は「グローバル化とは、世界を市場で覆い尽くせば、見えざる手に導かれ効率的・安定的な社会が実現するという新古典派経済学の壮大な実験にほかならず、実験は失敗した。アメリカの資産バブル崩壊を機に世界の広がった経済危機は、グローバル資本主義社会が、効率性と安定性が二律背反してしまうケインズ的世界であることを立証した」「グローバル化はマクロ経済の不安定性を増大させる」と指摘している。 明治大学国際総合研究所フェローの岡部直明は「グローバル経済の下では『生産要素価格均等化の法則』が働く。つまり、一国ではなく国際的にモノの値段が決まる。高賃金・高コスト体質の産業・企業は生き残れない」と指摘している。また岡部は「市場そのものやグローバル化を否定し、問題を解決しようとすることは、資本主義そのものを否定することになる」と指摘している。 野口旭は「グローバル経済に閉鎖的な国がほぼ例外なく経済停滞に陥る一方で、グローバル経済に自国の経済を開放していった国の多くは、苦難を経験しながらも、経済的豊かさを着実に実現していったことは明らかである」「社会は、グローバリゼーションの利益を過小評価するが、その不利益は過大評価する。確かにグローバリゼーションは経済的な敗者を生み出す。しかしそれはグローバル経済自体の問題ではなく、市場経済自体の問題である」と指摘している。 エコノミストの松井良一は「グローバル資本主義が、アメリカのみならず世界経済を発展させ、世界を物質的に豊かにし、文化の交流を促し、人々にさまざまな情報をもたらしてきたことは事実であり、そうした効果を過小評価すべきでない」と指摘している。
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識者の見解
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経済専門のクラウドソース・コンテンツ『Seeking Alpha』は、日本の低迷の主要因はバブル崩壊であり、政府・銀行の対応の遅さがデフレーションにつながったと指摘している。 ベン・バーナンキは2000年の時点で、日本長期停滞の原因は「極めて稚拙な日本銀行の金融政策にある」と指摘していた。 経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは、日本経済の長期低迷について「潜在成長率を大きく下回る状態が長期化していることが最大の問題」と述べており、デフレの弊害を指摘している。 経済学者の岩田規久男は「バブル崩壊後の日本経済の特徴は、デフレと資産デフレが長期的に続いていることである」「バブル崩壊後の景気低迷は、バランス・シート不況という特徴を持っている」と指摘している。 経済学者の香西泰は「失われた10年をデフレだけで説明できない。日銀はバブルを発生させ、バブル後に引き締め過ぎたかもしれないが、金融だけで失われた10年すべて説明するには無理がある。産業の問題や企業の失敗も、大きな影響となった。平成の経済停滞を『デフレ』というには、あまりにも物価の低下率が小さ過ぎる。産業自体のほうに大きな問題があって、金融はあまり関係ない」と指摘している。 経済学者の林文夫、エドワード・プレスコットは1990年代の日本の不況は、生産性上昇率の低下・法的規制による労働時間の短縮によって起こったとする論文を書き、学会に大きな影響を与えた。後の実証研究では、技術進歩という意味においての生産性は低下していなかったという結果が出ている。 池田信夫は「日本経済の長期停滞の大きな原因は、1980年代に起こった情報革命に乗り遅れたことである」と指摘している。 構造問題重視の立場からは、一時的に需要増もたらす景気対策には効果がなく、規制緩和・公的企業の民営化などの構造改革を通じて生産性を高めることが重要であると主張されている。一方で需要サイドの問題を重視する立場からは、バブル崩壊後の資産価格の下落(資産デフレ)を起点とする恒常的な需要不足が長期低迷の主因であり、不況脱却策として財政・金融面からのマクロ経済安定化政策の役割が強調されている。 竹中平蔵は「『失われた10年』は、日本の企業が過大な債務の償却を先送りし、長期に渡って持ち続けたからである」と指摘している。不良債権を1兆円処理するごとに15000人の失業者を生むという試算もあった。 森永卓郎は「1996年頃には、首都圏の商業地の地価はバブルが始まった1986年頃の水準に戻っている。つまり、バブルの調整は終わっている。1996年以降に発生している不良債権は、不動産価格の下落・景気低迷による経営悪化、つまりデフレの深化によるものである」と指摘している。 日本の1994年時点の不況について、ジョン・ケネス・ガルブレイスは「(経済改革が必要であるという議論は)現実的な話ではなく、日本経済が直面しているのは循環的なものである」と指摘していた。 経済学者の野口旭は「日本経済が長期低迷したのは、構造問題ではなく、基本的に総需要不足によるものである」「総需要不足が10年以上続いている状態は、歴史的ほとんど無い例であるが、『長さ』だけを根拠として、問題は需要側ではなく供給側にあると主張することは間違いである。日本の10年にもわたる低成長は、基本的には、総需要の不足によって生じたということは、持続的な失業率の上昇、物価の下落(デフレ)という事実から明白である」と指摘していた。 「日本経済の低成長は需要不足ではなく、構造問題から生じている」という議論について、野口旭、田中秀臣は『「日本経済にデフレ・ギャップは存在しない。さらに、現実の失業率はすべて構造的失業である」と主張することに等しい』と指摘している。 リチャード・ヴェルナーは、構造問題が処理されていなかった1990年代以前において目覚ましい経済成長が認められるとして、構造問題を原因とする見方を批判している。ヴェルナーは、日本の不況の主因を銀行システムの不良債権問題だと考えている。ヴェルナーの言う不良債権問題は、処理の先送りではなくて貸し渋りのことである。 日銀短観によると、銀行の貸し渋りは1997年半ばから1998年に観測されたが、1993-1996年、1999-2000年には観測されていない。野口旭は「1990年代で明らかに貸し渋りがあったのは、1997年、1998年だけであったというのが経済の専門家間の定説である」と指摘している。 みずほ総合研究所は「供給サイドの論者が指摘するように、生産性の高い企業・産業が、資源の供給不足によって成長が不可能になっている状態であれば、遊休資源としての失業は存在しないはずである。また、経済が需要不足ではなく供給の制約に直面しているのであれば、物価は下落せず上昇するはずである」「1990年代を通して経済成長力を抑制し、その結果として需要不足を恒常化させている最大の原因は、一般物価・資産価格の持続的な下落(デフレ・資産デフレの進行)である」と指摘している。 竹中は「この10年間で日本は大不況だったとされているが、数字の上では必ずしも正しくない。この10年間の年平均経済成長率は1.2%であり、生活水準は13%程度高くなっている」と指摘している。また竹中は「この10年間は、企業が痛みをかぶり、労働者に分配してきた」と指摘している。また竹中は「小泉内閣は『失われた10年』を終わらせたという意味では、歴史的使命を果たした」と指摘している。 1990年以降、OECD加盟国のほとんどは2%以上の実質経済成長率、4%程度の名目経済成長率を達成している(2010年時点)。 岩田は「バブル崩壊後の日本の実質経済成長率は平均で1980年代の約4%から、1992年以降は約1%へと4分の1に低下した。それ以前の10年間と比べて大きく悪化しており、他の主要国と比べても大きく劣っている」と指摘している。
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識者の見解
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元通産省官僚の古賀茂明は、 「政治主導」の意味の取り違えによる官僚排除 閣僚の政治主導実行能力の欠如 有能で信頼できるサポートスタッフの欠如 首相や大臣の目的意識の欠如 の4点が問題だったと指摘しており、政治主導を実現するのに必要なこととして、 リーダーが明確なビジョンを持つこと リーダーが素質を高く持つこと ビジョンを実現していく具体的で明確な戦略を持つこと 非常に優秀な自分のスタッフを持つこと の4点を挙げている。 日本総合研究所調査部主任研究員の西沢和彦は、 党のシンクタンクの設立・拡充を優先的に検討する。これにより、常に現行制度に客観的検証が加えられたうえで、政策の新機軸が打ち出されることが期待される。 健康保険財政が極めて複雑であり政治家でもとてもついていけるものではないとして、社会保障制度をシンプルで分かりやすいものへ作り直すことを改革の重要な指針に据える。 厚生労働省が作成している年金の給付負担倍率の推計が年金制度を過大評価しているように、第三者による監査がないことが議論の混乱を招く根本的な要因の1つとなっている。客観的かつ分かりやすい情報提供体制の整備などが必要。 の3点を提言している。
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識者の見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 18:50 UTC 版)
「反グローバリゼーション#識者の見解」も参照 日本工業大学大学院の横田悦二郎教授は、グローバリズムの進行で水平分業が進んでいると指摘している。 関岡英之は、アメリカをグローバルリズムの本家本元と言い、グローバリズムについて、米国シカゴ大学発の一つのイデオロギーに過ぎないもので、普遍の真理でも、歴史の必然でもないとし、東北地方唯一の政令指定都市ですらチャイナマネーに手を出さなければならないほど追い詰められていた状況を例に挙げながら、小泉構造改革が、日本にグローバリズムの弊害をもたらしたと主張している。 藤井厳喜は、オバマ大統領就任直後のアメリカは、グローバリズムにより、グローバル企業は儲かっているが一般国民の7人に1人が貧困層となり、「多国籍化したアメリカ大企業の利益と一般国民の利益が相反するようになり、両者が鋭く対立するようになったのが、最近(2014年)のアメリカ政治の特徴である。」と指摘している。 三橋貴明は、韓国と中国は共に、グローバリズムが進んで組み込まれた国であり、共にグローバリズムの問題を抱えているとしている。 漫画家の小林よしのりは、「規制改革を中心とする小泉路線の頃から、新自由主義・グローバリズムで日本の国柄を破壊する政治家が、靖国参拝によってナショナリズムを喚起し、それを帳消しにする形が生まれた」と指摘している。 日本でも、徐々にグローバリズムを押し広げるグローバル資本主義を人為的に推進する動きが見られている。[誰?] 経済学者の伊藤元重は、「反グローバリズムの運動は、新たな保護主義のあらわれと見ることができる」と指摘している。 経済学者の野口旭は、「反グローバリズム派によるグローバリズム批判は、国内経済・地域経済の自律性を確保すべきという性質を持っている」「世界中の根強い『反グローバリズム』の根底にあるのは、自国の経済が貿易という捉えどころの無いものによって変えられていく嫌悪感なのかもしれない」と指摘している。 経済学者の八代尚宏は、「若者の雇用機会減少や賃金格差の拡大を改善するためには、政治的圧力のみならず、市場の活用を推進するべきである。世界的に貿易が拡大する中で、労働生産性・賃金の差の拡大が生じている。反グローバリズムを唱えても、世界の潮流から取り残されじり貧になるだけである」と指摘している。
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識者の見解
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市場の失敗について、西部邁(評論家)は次のように述べている。「市場経済そのものが「失敗」の危険にさらされている。「不確実性」、「大規模生産の有利性」そして「公共財の存在」という条件があれば、それらの条件は遍在している市場競争は効率的たりえず、その意味でいわゆるマーケット・フェイリュア(市場の失敗)は必然なのである。」 また市場の失敗の原因について、西部は次のように述べている。「市場経済そのものは人類史における偉大な発明品の一つである。それに対立するものとしての計画経済は、とくに情報の生産・交換・消費の効率において、市場経済にはるかに遅れをとっている。しかし、すでに指摘したように、マーケット・フェイリュア(市場の失敗)もまた遍在している。通常に指摘されているその失敗因はおおよそ三つであって、第一に「将来の不確実性が強い場合」、第二に「規模の経済(つまり大規模生産の効率性)が大きい場合」、そして第三に「公共財(つまり人々が集合的に消費する財)が重きをなす場合」に市場経済は効率的たりえない。第四の要因として「市場の均衡が不安定な場合」も挙げられるが、それは以上の三つの場合から派生した結果であることが多い。」 経済学者の大竹文雄は「サブプライム問題は、市場の失敗の一例であり、情報の非対称性の問題である」と指摘している。 経済学者の中谷巌は「市場メカニズムが果たしている役割の本質、効率的な資源配分の意味、所得分配の決まり方、人々にインセンティブを与えている機能などの市場の利点を充分理解しないで、市場の欠点だけをあげつらうと『政府にすべて介入してもらおう』という間違った方向に関心がいってしまう可能性がある」と指摘している。 経済学者のゲーリー・ベッカーは「市場は決して完璧なものではなく、それは世界的に深刻化する公害に歯止めをかけられない点からも明白である。(ただし)中央政府による計画経済などの選択肢に比べれば、多くの状況においてはまだ機能する。正しくは、それ以上でもそれ以下でもない」と指摘している。 経済学者の岩田規久男は「市場とは資源配分・所得分配を決める手段であって、規制・ルールのあり方によってその性能は良くも悪くもなる。性能に問題が生じた場合は原因を追究し、規制・ルールを変えることが重要である」と指摘している。 大竹文雄は「市場の失敗は、完全に解決することはできない。規制はきちんと働くように監視するコストがかかる。様々なトレードオフを考え、社会の仕組みを考えていくしかない」と指摘している。 「市場の失敗に対策を立てた場合、市場に任せておけば効率的な資源配分が達成される」という「厚生経済学の基本定理」という命題がある。八田達夫は「このときの効率的な資源配分が達成されている状況とは、誰かの生活水準を引き上げるために、ほかの誰かの生活水準を引き下げざるをえないという状況を指す」と指摘している。また八田は「誰かの生活水準を引き下げずに、ほかの誰かの生活水準を引き上げることができるなら、それは無駄のある、非効率的な状況だったと言える」と指摘している。
※この「識者の見解」の解説は、「市場の失敗」の解説の一部です。
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