東西冷戦の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 13:04 UTC 版)
韓国への批判はかつて人権問題に敏感な左派系マスコミがリードしていたが、1987年の民主化宣言以降から韓国の民主化が進展し、1988年ソウルオリンピックの成功などで、それまでの暗いイメージであった韓国が明るいイメージに変わった。左派は北朝鮮を「光の国」、韓国を「闇の国」として語りつづけ、進歩派の「かつての韓国論といえば、政治的、社会的にいかに暗いか、を描くものと決まっていた」と室谷克実はいっている。 さらにベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の崩壊など冷戦が西側陣営の勝利に終わり、日本国内で韓国を民主主義国家として認識するようになったことがあげられる。これに伴い、社会党や日本教職員組合(日教組)、各種労働団体、左派系マスコミは、韓国に宥和的な態度を取り、韓国に対する批判を忌避する姿勢をみせ始めた。 一方で、北朝鮮に対しては各メディアとも認識を明らかにしないことや触れないことが多かった。 1990年代、韓国で国内の人権問題については非常に神経質だが、奴隷のような生活を強いられる北朝鮮住民に関する人権問題へは冷たい反米・北朝鮮融和の傾向が強い左派政権(金大中、盧武鉉)に移行し、北朝鮮や中国と接近するようになると、韓国は以前の北朝鮮よりも日本批判を強め、また反日教育をより国策で推進した。日本の親米保守・右派系はそうした韓国に対し、反共国家だった韓国が反日国、左派政権の時は更に親北国になったことで批判を多くするようになった。
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