かみ‐の‐みえざるて【神の見えざる手】
見えざる手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 15:13 UTC 版)
見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)とは、アダム・スミスの『国富論』第4編第2章などに現れる言葉である。
- ^ 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』 島田裕巳 ISBN 4166607278
- ^ a b 竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、56頁。
- ^ a b 木暮太一の「経済の仕組み」 アダム・スミスの「生きるヒント」 第1回 「格差を拡げる自由競争は是か非か?」現代ビジネス 2012年6月22日
- 1 見えざる手とは
- 2 見えざる手の概要
- 3 関連項目
見えざる手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:06 UTC 版)
「見えざる手」も参照 『国富論』に登場する「見えざる手」 (invisible hand) という言葉は広く知られており、ジョン・ケネス・ガルブレイスは経済学の隠喩の中で最も有名なものとまで位置付けている。しかし、直接的にこの単語が登場するのは、第4篇2章の1か所だけである。 この「見えざる手」の背後にある思想は、人々が利己的に行動することこそが、市場を通じて公益の増大にもつながるということである。この着想は、私悪が公益につながるというバーナード・デ・マンデヴィルの思想から影響を受けたといわれている。 ただし、スミスが市場に無条件で全てを委ねる自由放任主義(レッセフェール)を礼賛したという理解は正しくない。スミスが説く利己心はあくまでも「同感」とセットになって「正義の法」に反しないものであり、まったくの好き勝手に振る舞うこととは異なる。スミスの考えに沿えば、独占などが行われていないフェアな市場で自己の利益を最大化するには、他者の批判を招く行為に出て今後の取引に差し障ることは避けようとするはずであり、好き勝手に振る舞うことは、むしろ自己の利益を最大化することにはつながらないのである。そもそも、「自然的自由」「自由競争」といった表現ならばスミスの書き物には頻出するが、「自由放任」という表現は一切登場しない。 しかしながら、スミスの「見えざる手」は曲解され、『国富論』の初期の擁護者となった新興の資本家たちは、レッセフェール以外のスミスの主張を無視した。そして、人道的な政策(児童労働の禁止など)に反対する資本家たちまで、政府によるあらゆる規制に反対するものとして、スミスを引用する始末であった。
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