徐晃
- ^ 「武帝紀」によると建安4年(199年)夏4月の出来事。「于禁伝」によると、史渙と共に射犬の眭固を攻撃したのは曹仁と于禁。「楽進伝」によると楽進も従軍。
- ^ 「武帝紀」建安4年(199年)12月にある、劉備が沛で曹操に反乱を起こした事件。「武帝紀」によると建安5年(200年)春正月。「楽進伝」によると楽進も従軍。
- ^ 「武帝紀」によると建安5年(200年)2月の出来事で、劉備の降将関羽と呂布の降将張遼が先鋒を務めた。
- ^ 「武帝紀」によると建安5年(200年)2月の出来事。「荀攸伝」によると、曹操が荀攸の進言に従い、計略により文醜の軍を混乱させていた。
- ^ 本来の文字は「氵」+「隱」
- ^ 「武帝紀」によると、建安5年(200年)8月から冬12月の間に起きた戦い。「荀攸伝」によると、徐晃の抜擢は荀攸の進言によるもの。
- ^ 「夏侯淵伝」
- ^ 「武帝紀」によると、建安15年(210年)秋7月の出来事。朱霊が同行。
- ^ 「趙儼伝」によると曹仁の軍事に参画するため趙儼が同行。
- ^ 「武帝紀」によると建安24年(219年)8月の出来事。
- ^ 「董昭伝」によると、この時、曹操は孫権に命じて関羽の背後を脅かす計画を立てていたが、董昭の進言により、その計画を城中だけでなく関羽の陣営にもわざと漏らすことにしたため、徐晃に命令を出し、両方の陣地に孫権からの手紙を射込ませたという。
- ^ 徐晃と関羽とは旧知であったため、決戦前に言葉を交わしたという(蜀志「関羽伝」が引く『蜀記』)
- ^ 「曹仁伝」では、曹仁はこの功績で車騎将軍から大将軍に昇進したとあり、「文帝紀」では曹仁の大将軍の任命時期は黄初2年(221年)夏4月。
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