天叢雲剣 所在

天叢雲剣

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所在

熱田神宮

熱田神宮

草薙剣は、日本神話の記述の通りであれば、熱田神宮の奥深くに神体として安置されている[41][182]

この剣は盗難に遭ったことがあり、天智天皇7年(668年)に新羅・道行(どうぎょう)が熱田神宮から草薙剣を盗み、新羅に持ち帰ろうとした(『日本書紀』二十七巻、天智天皇)[183][153]。『尾張国熱田太神宮縁起』では、一度目は神剣が自ら神宮に戻って失敗[184]。二度目は船が難破して失敗、神剣は日本側に回収された(草薙剣盗難事件も参照)[153][184]

その後、草薙剣は宮中で保管されていた[185]。 『平家物語』では、天武天皇が草薙剣を内裏に移したと伝える[186]朱鳥元年(686年)6月、天武天皇が病に倒れる[187]。病気の原因は「宮中に神剣を置いたままにし、熱田に戻さない為の神剣の祟り」と判明した[188][189]陰陽師により御祓を行い、あるいは恩赦や仏教による功徳に期待して病の回復を祈るが、それでも神剣の祟りが解けなかったという[187]。草薙剣は熱田神宮に戻されたが[185]、天皇は9月に崩御した[153][157]

鎌倉時代に熱田神宮が炎上した際、幅一尺・長さ四尺の漆塗り箱に収められた神剣は、直接被害を受けることはなかった[190]。神宮の神職が確認すると、赤地の錦袋があったため、神剣と判断して八剣殿(やつるぎのみや、708年創建)に収めたという[159][190]。御記文によれば、ヤマトタケルの前世は素戔嗚尊であったとしている[190]。『熱田太神宮御託宣記』でも、久子内親王後深草天皇皇女)関連で同様の伝承を伝えている[190]

戦国時代、熱田神宮も神領を奪われて困窮する[191]安土桃山時代になると織田信長豊臣秀吉徳川家康によって保護されるが[192]江戸時代になって荒廃[193]松尾芭蕉が『野ざらし紀行』で1684年(貞享元年)当時の惨状を「かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、爰に石を据ゑて其神と名のる。」と記述している[194][195]。1686年(貞享3年)、江戸幕府第五代将軍徳川綱吉により社殿を造営[194]。再建された熱田神宮を訪れた芭蕉は「磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花」と詠んだ[194]

綱吉時代に熱田神宮の改修工事があった時(前述)[194]、神剣が入ったが古くなったので、神剣を新しい櫃に移す際、4~5人の熱田大宮司社家の神官が神剣を盗み見たとの記録がある[196][194]天野信景名古屋藩士国学者)の随筆『塩尻』によれば、神剣を取り出した関係者は数年のうちに咎めを受けたという[194]梅宮大社の神職者で垂加神道の学者玉木正英(1671-1736年)の『玉籤集』裏書にある記載は、明治31年の『神器考証』(栗田寛著)や『三種の神器の考古学的検討』(後藤守一著)で、世に知られるようになった[194][197]。上述の著作によれば、神剣が祀られた土用殿内部は雲霧がたちこめていた[194]。木製の櫃(長さ五尺)を見つけてを開けると、石の櫃が置かれていて間に赤土が詰めてあり、それを開けると更に赤土が詰まっていて、真ん中にくり抜かれた楠の丸木があり黄金が敷かれていて、その上に布に包まれた剣があった[5][194]。箱毎に錠があり、大宮司の秘伝の一つの鍵で全てが開くという。布をほどいて剣を見ると、長さは278(およそ85センチメートル)ほどで、刃先は菖蒲の葉に似ており、剣の中ほどは盛り上がっていて元から6寸(およそ18センチメートル)ほどは節立って魚の脊骨のようであり、全体的に白っぽく、錆はなかったとある[194]。 この証言(記述)が正しければ、草薙剣は両刃の白銅剣となる[5][197]。一方で、後藤守一は、(皇国史観の束縛がなくなった)太平洋戦争終戦翌年(1946年)に明治大学専門部地理歴史科(夜学)の講義で、神官が盗み見た剣は青黒かったとの伝承を紹介し、それが事実なら、赤く錆びる製でなくおそらく青銅製で、弥生時代九州文化圏に関連する可能性があるとの推測を述べた(聴講した考古学者大塚初重による回想)[198]

なお神剣を見た大宮司は流罪となり、ほかの神官は祟りの病でことごとく亡くなり、幸い一人だけ難を免れた松岡正直という者が相伝したとの逸話も伝わっている[199][200]

明治時代初期には、草薙剣を調査するため勅使が派遣された[5]。最後の箱を開こうとした時に三条実美(当時の太政大臣)から中止命令が届き、調査は行われなかったという[5]。 川口陟『定本日本刀剣全史』には、「熱田大宮司尾張連家の秘伝」として、神剣の形状および御樋代(みひしろ)の想像図が記載されている[201]

昭和天皇侍従長であった入江相政の著書[202]によると、太平洋戦争当時に空襲を避けるために長野県の木曾山中に疎開させようとするも、櫃が大きすぎて運ぶのに難儀したため、入江が長剣用と短剣用の2種類の箱を用意し、昭和天皇の勅封を携えて熱田神宮に赴き唐櫃を開けたところ、明治時代の侍従長・山岡鉄舟の侍従封(1881年5月25日)があり[166]、それを解いたところで明治天皇の勅封があったという。実物は検分していないが、短剣用の櫃に納めたという。

皇居

草薙剣の形代は、崇神天皇の時に「神器と同居するのは畏れ多い」という理由で作られた[102][203]。『古語拾遺』によれば、天目一箇神イシコリドメの子孫が「神鏡(天照大神)」と「形代の剣」(もう一つの草薙剣)を作り、天皇の護身用として宮中に残した[100][102][204]。 現在は皇居の「剣璽の間」に勾玉とともに安置されているが、かつて水没(源平合戦)、奪取と偽造(南北朝時代)、消失と様々な遍歴を辿った[205]。源平合戦で一振を喪失しており、また伝説・神話の異説・記録から、草薙剣は複数存在するという考察もある[206]

平安時代陽成天皇(第五十七代)は[207]、宮中の天叢雲剣(草薙剣)を抜いたという伝説がある[13][208]。夜間にもかかわらず御殿の中は「ひらひらとひらめきひかり」、恐怖した天皇が投げ出すと天叢雲剣は自らに戻ったという[208][186]天徳4年(960年)9月、内裏で火災があり神鏡は破損したが、神剣と神璽は無事だった[209]

同時代末期の源平合戦の折[210]平家は源氏軍(源義経源範頼等)に追い詰められ、壇ノ浦の戦いにて滅亡する[211][212]二位の尼は、当時8歳の安徳天皇および宝剣(草薙剣/天叢雲剣)・八尺瓊勾玉(神璽)を抱いて入水した[213][214]。この時、勾玉と鏡は源氏軍に回収されたが[210]、天叢雲剣は安徳天皇と共に失われたという[215][216]。 『吾妻鏡』では文治一年三月二十四日条で「二品禅尼(二位ノ尼)は宝剣(草薙剣)を持って、按察の局は先帝(安徳天皇)を抱き奉って、共に海底に没する」とある[217]。戦いの後の同年四月十一日の条に、戦いでの平氏方の戦死者、捕虜の報告に続いて「内侍所(八咫鏡)と神璽(八坂瓊曲玉)は御座すが、宝剣(草薙剣)は紛失」と記されている[218]。 また、安徳天皇の都落ち後に即位した後鳥羽天皇は、三種の神器が無いまま即位した[219][220]。平家滅亡後、朝廷(後白河法皇、後鳥羽天皇)と源氏軍(源頼朝〈母親は熱田神宮大宮司娘〉[221]源範頼源義経)は必死で宝剣の捜索をおこない、焦った源義経は宇佐神宮に願文を奉じている[222]。朝廷側も寺社への寄進や加持祈祷による神仏の力で神剣で探し出そうとしたが、結局見つからなかった[223]。 約20年間は清涼殿の剣(昼の御座の剣)で代用する[224][225]。『百錬抄』等によれば、寿永二年(1183年)に伊勢神宮(当時祭主、御中臣親俊)から後白河法皇に献上されていた剣を形代の剣としていた[226][225]。 承元4年、土御門天皇から順徳天皇に代わる時に伊勢神宮から神剣を送られ、これが草薙剣となった(順徳天皇『禁秘抄』)[227][228]。また一説には、従来から使用していた昼の御座の剣(後鳥羽天皇践祚時に伊勢神宮から献上したもの)を、順徳天皇時に正式に神器として扱うようになったともいう[224]

南北朝時代足利尊氏足利幕府)以下北朝陣営と対立した後醍醐天皇は、三種神器の偽造品を作らせたことがあった[229][230]光明天皇(北朝2代)と後醍醐天皇(南朝)は、互いに「自分達が本当の三種の神器を持っていて、相手のものは偽物だ」と主張した[231][232]。神器を巡る混乱は後亀山天皇(南朝、第99代)[233]後小松天皇(第100代)に神器を譲渡して、一応決着した[229][234][235]。 また室町時代には南朝の遺臣らによって勾玉とともに強奪されたこと(禁闕の変)があったが、なぜか剣だけが翌日に清水寺で発見され回収された[236]。これが現在の皇居の御所の「剣璽の間」に安置されている剣である[13]

現在、皇位継承が発生の際には、ただちに「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」が行われる[237]明治天皇から大正天皇の場合は1912年大正元年)7月30日に行われた[238]7月29日午後10時40分に明治天皇が崩御(宝算61歳)、翌7月30日午前0時43分の公式発表に至る[239]。同日午前1時、宮城宮中三殿において皇族一同、東郷平八郎山縣有朋など重鎮および内閣閣僚多数列席のもと剣璽渡御の儀が行われた[240]大正天皇から昭和天皇の場合は1926年昭和元年)12月25日に行われた[241][242]。同日午前1時25分、葉山御用邸附属邸で大正天皇は崩御(宝算48歳)[243]。同日午前3時過ぎ、同御用邸附属邸内謁見所にて剣璽渡御の儀が行われ、高松宮宣仁親王伏見宮博恭王など皇族一同、東郷平八郎元帥など重鎮多数、若槻礼次郎内閣総理大臣など内閣閣僚一同が立ち会った[242]

昭和天皇から明仁の場合は1989年(平成元年)1月7日午前10時01分に宮中正殿松の間で行われた[244][245]2019年令和元年)5月1日の明仁から徳仁への皇位の継承では日本国憲法に基づく国事行為として執り行われた。


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  262. ^ #永井、太平記コマ69-70(原本127-128頁)
  263. ^ 早稲田、太平記上コマ239-240(原本443-444頁)
  264. ^ #永井、太平記コマ74(原本136-137頁)
  265. ^ #永井、太平記コマ75(原本139頁)
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  267. ^ 『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第四十四
  268. ^ 2019年11月8日のツイート - twitter 八條忠基
  269. ^ 宮内庁『御物調書』1989年、p. 1
  270. ^ 歴代皇太子の御剣、天皇陛下から秋篠宮さまへ 産経新聞 2019年9月26日






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