天叢雲剣非水没説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 03:30 UTC 版)
『吾妻鏡』の壇ノ浦の戦いの元暦二年三月二十四日の条で「二位尼は宝剣を持って、按察の局は先帝(安徳天皇)を抱き奉って、共に海底に没する。」とあり、『平家物語』にも同様の記述がある。また戦いの後の元暦二年四月十一日の条に戦いでの平氏方の戦死者、捕虜の報告に続いて「内侍所(八咫鏡)と神璽(八尺瓊勾玉)は御座すが。宝剣(天叢雲剣)は紛失。愚虜をもってして捜し奉る。」と記されており、一般的には三種の神器のうち天叢雲剣は壇ノ浦の戦いで一度失われていると考えられている。小説やテレビドラマなどでもこのように描かれており、2005年の大河ドラマ『義経』では二位尼が安徳天皇と天叢雲剣を抱いて海に没して、剣が海底に失われる描写がされている。 一方、この時失われた天叢雲剣は、宮中の儀式に使われる模造品(形代)であり、本物は熱田神宮に保管されており失われていないという説もある。[要出典]日本テレビの1991年の年末時代劇スペシャルの『源義経』においては、この説が採用されている。
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