天叢雲剣 象徴

天叢雲剣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 02:46 UTC 版)

象徴

天台座主慈円は「天皇の持つ武力の象徴」と解釈している[15]北畠親房は従来解釈に加えて、「劒ハ剛利決断ヲ徳トス。智慧ノ本源ナリ」という儒学的な解釈を行った[42](北畠の『神皇正統記』では、鏡=正直の本源、玉=慈悲の本源、剣=知恵の本源)[43][44]一条兼良は「鏡=知の用、玉=仁の徳、剣=勇の義」[45]熊沢蕃山は「鏡=知の象(しるし)、玉=仁の象、剣=勇の象」、田中智學は「鏡=天照大神=知徳、玉=月読尊=仁慈、剣=素戔嗚尊=武勇」と解釈している[45]。 またスサノオは出雲国の八岐大蛇を退治した時に、高天原のアマテラスに大蛇由来の神剣(草薙剣/天叢雲剣)を献上したが、この神話について天孫降臨および国譲りの伏線とする説もある[46][47]

動向

神代

スサノオヤマタノオロチ

高天原から出雲国に至ったスサノオ(素戔嗚尊)はクシナダヒメ(櫛名田比売〈古事記〉、奇稻田姫〈日本書紀〉)を助けるため[48][49]十拳剣ヤマタノオロチ(八俣大蛇/八俣遠呂智〈記〉、八岐大蛇〈紀〉)[50][51]を切り刻んだ[52][53][54]。 この時、尾を切ると十拳剣の刃が欠け、尾の中から鋭い大刀が出てきた[55][56]。『古事記』では、まず都牟刈の大刀(つむがりのたち)と言及する[57][58]。続いて草薙剣(草なぎの大刀)と表記する[59][60]。『古事記』の原文[61][62]と解釈文は以下の通り[63][64]

【原文】

 爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切-二散其蛇者、肥河變血而流。故、切其中尾時、御刀之刄毀。爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都牟刈之大刀。故、取此大刀、思異物而、白-二上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也。那藝二字以音。

【解釈文】

 八岐大蛇が酒に酔って眠った隙を見て、速須佐之男命は身に帯びたつかつるぎを抜きて、八岐大蛇をずだずだに斬り刻んだ。 ゆえにかはの流れは血にかわった。 速須佐之男命が大蛇の中ほどの尾を斬った時、十拳之剣の刃がすこし欠けてしまった。 怪しいと思い、刀の切先で大蛇を刺し割ってみると、一振りの、がり大刀たち(非常に鋭い大刀)があった。 速須佐之男命は大蛇の中から出てきた大刀を取り、不思議なものだと思い、天照大御神に事情を説明し、献上した。 これがすなわち、後世に云うくさ大刀たちである。

『日本書紀』神代紀上第八段本文の注には「ある書がいうに、元の名は天叢雲剣。大蛇の居る上に常に雲気(くも)が掛かっていたため、かく名づけたか。日本武皇子に至りて、名を改めて草薙劒と曰ふといふ」とある[65][66][67]。 スサノオは「是神(あや)しき剣なり。吾何ぞ敢へて私に安(お)けらむや〔これは不思議で霊妙な剣だ。どうして自分の物にできようか〕」(『日本書紀』第八段本文)と言って[68][69][70]高天原天照大神(アマテラス)に献上した[71][72][73]。『古語拾遺』では天神(あまつかみ)と表記している[74][75]

一方、ヤマタノオロチを殺して欠けた十拳剣(十握剣)は[76][77]、大蛇之麁正(をろちのあらまさ)[78][79]、もしくは天羽々斬之剣/天蠅斫剣(あめのはばきりのつるぎ)[80][81]として石上神宮石上布都魂神社)に祭られた[82][83][84]。 『日本書紀』(第三の一書)では、「蛇韓鋤(おろちのからさひ/おとりからさひ)の剣」として吉備の神部に祀られた[85][86][87]

草薙剣(草那藝剣)は天孫降臨の際に、天照大神から三種の神器としてニニギ(瓊瓊杵尊)に手渡され[88][89]、再び葦原中国へと降りた[90][91]。各神話で差異がある[92]。古事記では「八尺の勾玉、鏡、草薙剣」[93][94]、『日本書紀』第一の一書では「曲玉、八咫鏡、草薙剣」[95]、古語拾遺では「八咫鏡、草薙剣(矛、玉)」[96]、日本書紀の中には言及しないものもある[97][98]

人代

「月耕随筆 日本武尊 草薙剣」

ニニギが所有して以降、神武天皇東征や欠史八代等で天叢雲剣(草薙剣)がどのように扱われていたかは[99]、『古事記』『日本書紀』とも記載していない[100][101]皇居内に天照大神の神体とされる八咫鏡とともに祀られていたが、崇神天皇の時代に、皇女トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)により、八咫鏡とともに皇居の外(倭の笠縫邑)で祀られるようになった[100][102]。『古語拾遺』には子細が語られている。天目一箇神イシコリドメの子孫が「神鏡」と「形代の剣」(もう一つの草薙剣)を作り、天皇の護身用として宮中に残された[102][103]。 神威はオリジナルと変わらなかったという[104]。 続いて崇神天皇の命令を受けた豊鍬入姫命は、倭の笠縫邑に神鏡と草薙剣を祀った[1][102]

垂仁天皇の時代、ヤマトヒメ(倭姫命)に引き継がれ、トヨスキイリヒメから、合わせて約60年をかけて現在の伊勢神宮・内宮に落ち着いた(「60年」以降の部分は『倭姫命世記』に見られる記述である。詳細記事:元伊勢)。この時点で、天叢雲剣は伊勢神宮で祀られることになった[105][106]

景行天皇(第12代)の時代[107]、天叢雲剣(草薙剣)は伊勢国伊勢神宮)のヤマトヒメから[108][109]東国の制圧(東征)へ向かうヤマトタケル(日本武尊)に授けられた[110][111][112]。 神剣を授けるにあたりヤマトヒメはヤマトタケルに言葉をかけるが、複数の異伝がある[113]。『古事記』では、草薙剣と共に火打石入りの袋を渡して「若(も)し急(にはか)なる事有らば、この嚢(ふくろ)の口と解(と)きたまへ」と詔る[114][115]。 『日本書紀』や『古語拾遺』では「慎莫怠也(慎んで怠ることなかれ)」と訓戒した[116][117]平安時代の熱田神宮に伝わっていた記文(由緒)によれば、アマテラスはヤマトヒメに神懸りして「さきのむまれ、そさのをのみことたりし時、出雲の国にて八またのをろちの尾のなかよりとりいでて、我にあたへしつるぎなり(この剣は、そなた〔ヤマトタケル〕が前世でスサノオであったとき、出雲国で八岐大蛇の尾よりとりだして、私に献上した剣です)」と伝えている[118]。 一説によると、ヤマトタケルは天皇から授かった天之広矛/比比羅木八尋矛(ひひらぎのやひろのほこ)を[119]、神宮に預けたという[120]

その後、ヤマトタケルは相武国(『古事記』および『古語拾遺』)[121][122]もしくは駿河国(『日本書紀』、熱田神宮伝聞)で[123][124]、敵の放った野火に囲まれ窮地に陥るが、剣で草を刈り払い(記と拾遺のみ)[125][126]、向い火を点け脱出する[127][128]。 日本書紀の注では「一説には、天叢雲剣が自ら抜け出して草を薙ぎ払い、これにより難を逃れたためその剣を草薙剣と名付けた」とある[129]

東征の後、ヤマトタケルは尾張国で結婚したミヤズヒメ(宮簀媛)の元に剣を預けたまま[130][131]伊吹山の悪神(荒神)を討伐しに行く[132][133]。『古語拾遺』では「剣を解きて宅(いえ)に置き、徒(たむなで)で行きでまして胆吹山に登り、毒(あしきいき)に中(あた)りて薨(かむさ)りましき。」として[116][134]、草薙剣をミヤズヒメの元に置いて出陣したことで、ヤマトタケルは神剣の加護を失ったと暗示する[135]。 『尾張国風土記』においては、宮酢媛の屋敷に滞在していたヤマトタケルは、夜中にへ入る時、脇のの木に剣を掛け、そのまま忘れて部屋に戻った[136][5]。思い出して桑の木に戻ると、剣が神々しく光輝いて手にする事ができなかったという[136][137]。ミヤズヒメにヤマトタケルは「剣を私の形影(みかげ)として祀るように」と告げて出陣した[5][136]。 『尾張国熱田太神宮縁起』(平安時代初期)では、ヤマトタケルは桑の木から光剣を手にとったものの、ミヤズヒメに「我が床の守りとせよ」と告げて出陣した[136]

結局、ヤマトタケルは伊吹山の神(白猪〈『古事記』〉[138][139]大蛇〈『日本書紀』〉[140]八岐大蛇の化身とも[141])によって病を得[142][143]大和国へ帰る途中で、最期に「剣の太刀、ああその太刀よ」(記)、もしくは「孃女おとめの、床のに、わが置きし、つるぎの太刀、その太刀たちはや。」と草薙剣を呼んで亡くなってしまった[144][145][146]。 その後、ミヤズヒメは夫(ヤマトタケル)と草薙剣を祀り[147]、これが後の熱田神宮となった[148][149]

古代~中世

天智天皇の時代(668年)、新羅人による盗難に遭い[150][151]、一時的に宮中で保管された(詳細後述)[152][153]天武天皇の時代(朱鳥元年、686年)、天皇が病に倒れると、占いにより草薙剣の祟りと判明[154][155]。神剣は再び熱田神宮へ戻された[156][157]。だが天武天皇は回復せず崩御した[157]

平安時代末期の寿永4年3月24日(1185年4月25日)、壇ノ浦の戦いの際、二位の尼が安徳天皇とともに形代の宝剣を抱いて入水する[13]。宝剣(形代)は関門海峡に沈み、失われた[34]。朝廷と源氏軍は宝剣(形代)の捜索を行い、寺社に加持祈祷を行わせたりもしたが、結局見つからなかったため朝廷は伊勢神宮より献上された剣を「草薙剣(形代)」とした[13][35]

室町時代嘉吉3年9月23日(1443年10月16日)に起こった禁闕の変の際に、宝剣(形代)は後南朝勢力により勾玉とともに宮中から奪われた。翌日朝、清水寺の僧が境内で発見し、宝剣(形代)は宮中に戻された。発見した僧は褒美として美濃国加納郷を賜ったという[158]

近現代

『尾張霊威記』によれば、天保10年1月19日(1839年3月4日)に盗難被害に遭ったが、犯人はすぐに捕まった[159]。この際に、神殿を改造した[159]明治元年9月27日(1868年11月11日)、東京江戸)に向かう明治天皇は熱田神宮に宿泊(東京行幸[159]。この時、熱田神宮に祀られている神代由来の天叢雲剣と、明治天皇とともに動座してきていた形代の神剣が同所に遭遇することになった[159][160]。明治天皇は1878年(明治11年)10月28日、1880年(明治13年)7月2日にも、熱田神宮に行幸した[160]

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)になると連合国軍による日本本土空襲は激しさを増し、熱田神宮がある名古屋方面も激しい空爆を受ける。熱田神宮は3月12日5月17日の空襲で多数の建物を焼失、本殿も一部損傷した[161]本土決戦決号作戦ダウンフォール作戦)も視野に入り、草薙剣の扱いが問題になる[162]7月31日昭和天皇内大臣木戸幸一宮内大臣石渡荘太郎に対して、三種の神器の避難を検討させる[163]飛騨一宮水無神社疎開候補地となり、伊勢神宮関係者以下により視察が行われた(陸軍関係者により、事前に調査済み)[162][163]。 また本土決戦で最悪の事態となった場合、昭和天皇は伊勢神宮の八咫鏡および熱田神宮の天叢雲剣(草薙剣)ともども長野県松代大本営に移り、運命を共にする決意だったという[164]

8月15日ポツダム宣言受諾の表明(玉音放送[165]降伏した日本への連合軍本土進駐に際し、天叢雲剣は8月下旬から9月中旬まで、熱田神宮から水無神社に遷座した[166]。この経緯について『昭和天皇実録』では以下のように記述している。

官幣大社熱田神宮において神剣奉遷用の外箱 白木檜造り を新調 皇室経費を以て制作 したことにより、この日勅封に関する祭典を執行につき、勅使として侍従小出英経を差し遣わされる。小出は同神宮神殿内に参入し、従来の外箱の勅封 明治十四年五月二十五日宮少輔山岡鉄太郎を差し遣わされ、施せしめたもの を解き、新調の外箱に神剣を奉納し、御名御親筆の勅封紙と麻にて厳封の上、さらに勅使たる侍従の封を施した後、従来御奉納の外箱中に奉安し、施錠する。なお、予てよりその疎開を計画中の熱田神宮の神剣は、東海軍管区司令部の協力のもと、翌月十九日まで国幣小社水無神社 岐阜県大野郡宮村 に奉遷される。 — 昭和二十年八月二十二日 水曜日、宮内庁編纂『昭和天皇実録 第九 自昭和十八年至昭和二十年』、789ページ

剣璽動座に備えトヨタ・センチュリーロイヤルの後部座席には、八尺瓊勾玉と天叢雲剣を安置するための台座が設置できるようになっている。

名の由来

諸説あるが、実際はあまり判っていない。都牟刈大刀(つむがりのたち)[57]都牟羽大刀(つむはのたち)[167]八重垣剣(やえがきのつるぎ)、沓薙剣(くつなぎのけん)ともいう[168]。 『先代旧事本紀』や各種系図史料に見えるの尾張氏の系図、その同族である津守氏の古系図等に載る「天村雲命」との関係も推測され、また中臣氏の祖・天押雲根命の別名や外宮祀官家の渡会氏の祖先にも「天牟羅雲命」の名が見える(『豊受大神宮禰宜補任次第』)。

草薙剣

「草を薙いだ剣」

ヤマトタケルが伊勢神宮でこれを拝受し、東征の途上の駿河国(現在の静岡県中部)で、この神剣によって野火の難を払い、草薙剣の別名を与えた[169]。この説は広く知られているが、『日本書紀』では異伝とされている。現在の静岡県には、焼津草薙など、この神話に由来する地名が残る[170]豊受大神宮(伊勢神宮外宮)摂社には「草奈伎(くさなぎ)神社」があり、標剣仗(みしるしのつるぎ)を祀るという(度会家行『類聚神祇本源』)[171]

「蛇の剣」

クサは臭、ナギはの意(ウナギ#名称などを参照)で、原義は「蛇の剣」であるという説[172]。神話の記述でも、この剣は蛇の姿をしたヤマタノオロチの尾から出て来ており、本来の伝承では蛇の剣であったとも考えられる[173]。蛇の形状をした剣として蛇行剣がある。 高崎正秀は『神剣考』「草薙剣考」において、クサ=串=奇、で霊威ある意とし、ナギ=ナダ=蛇であるとして、この剣の名義を「霊妙なる蛇の剣」と説いている[174]。また、その名はヤマタノオロチに生贄にされかけたクシナダヒメ(奇稲田姫)に通じるものであり、本来クシナダヒメは霊蛇姫(くしなだひめ)と表記したのではと考察[174]。ヤマタノオロチに対する祭祀者でありながら同時に出雲を支配する女酋的存在ではなかったかとする。 なお垂仁天皇の神話でも、出雲の女性が蛇神だった事例がある[175]葦原色許男大神出雲大社)の祟りが解けた誉津別命(本牟智和気王)は肥長比売と結婚するが[176][177]、肥長比売の正体は「光る大蛇」だったという[178][179]

天叢雲剣

八俣遠呂智由来説

『日本書紀』の注記より。ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられた[8][180]。 実際、出雲など山陰地方は曇り日が多く、安来地方の山奥、島根県奥出雲町にある船通山(鳥髪峯)山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があり、毎年7月28日に船通山記念碑祭・宣揚祭が開催される。 また、「天叢雲剣」の名の由来である、「大蛇の上に雲気有り」という表現や「生贄の乙女を救い、龍を退治する」という物語展開に関して中国大陸(中国文化圏)の影響を指摘し[1][8]、『史記』や『漢書』からの引用だと説かれることもある[181]


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  268. ^ 2019年11月8日のツイート - twitter 八條忠基
  269. ^ 宮内庁『御物調書』1989年、p. 1
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