政治システム
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政治システム(せいじシステム、英語: political system)は、政治が営まれる仕組みや相互作用の総体を指す政治学上の概念である。狭義には国家や政府を構成する法的・制度的枠組みを指すが、広義には制度として規定された政治過程だけでなく、実際の政治行動、利益団体、政治文化、社会との相互作用までを含む概念として用いられる。[1][2]
日本語では政治体系ともいう。文脈によっては政治制度や政治機構と近接して用いられるが、政治システムは制度だけでなく政治的過程や行動の連関まで含めて把握する分析概念として用いられることが多い。なお、政治体制は政治システムと重なる場合がある一方、別概念として区別して用いられることもある。[3][2]
概説
政治システム概念は、憲法、議会、内閣、行政などの公式制度を中心に記述してきた伝統的政治学に対し、政治を社会との相互作用の中で動態的に理解しようとする試みの中で発展した。コトバンク掲載の『改訂新版 世界大百科事典』系解説によれば、政治体系は政治現象ないし政治生活を一つのまとまりをもった行動体系としてとらえる理論モデルであり、一般システム論を政治に応用して構成された知的構築物とされる。[2]
この意味での政治システムは、単なる制度の集合ではなく、社会から生じる要求や支持を受け取り、それを決定や政策へと変換し、その結果に対する反応を再び取り込む過程として理解される。そのため、選挙、政党、利益集約、政治的社会化、政策決定、行政執行、世論の反応なども政治システムの一部として論じられる。[4][5]
イーストンの政治システム論
政治システム論を代表するのは、デイヴィッド・イーストンの理論である。[2][4]
また、日本における紹介研究としは、森脇俊雅などが行っている。[6]
展開
イーストン以後、政治システム論は比較政治学や政治発展論の中で展開された。『世界大百科事典』系解説は、アーモンドが体系論を構造機能分析と結合させて各国政治の比較分析を可能にし、ドイッチュが通信と制御の一般理論であるサイバネティクス分析によって政治システム論を発展させたと説明している。[1][2]
比較政治学についても、1954年にアメリカ社会科学研究評議会に比較政治委員会が設置され、アーモンドが委員長に就任したことを画期として、法律的・歴史的・記述的な比較政治から、理論的・分析的な比較政治学への転換が進んだ。政治システム論は、この転換を支える有力な分析枠組みの一つであった。[7][2]
また、政治システム論は、政治発展論や非西欧社会研究とも結びついた。『世界大百科事典』系解説でも、政治体系論は発展途上国の政治的近代化の研究、地域社会の権力構造分析、国際関係における国家行動の分析にも用いられてきたとされる。[2][8]
評価と批判
政治システム論は、戦後政治学において大きな影響力を持ったが、抽象性の高さや経験的検証の難しさゆえに批判も受けた。少なくとも日本語圏では、イーストン理論の紹介や受容を通じて、その理論的包括性と同時に抽象性の高さが意識されてきたことがうかがえる。政治システム論は、単独の完成理論というより、比較政治学や政治過程論に広く影響を与えた基本的な分析枠組みとして位置づけるのが妥当である。[6][7][1]
今日では、政治システムという語は、厳密に一つの理論名としてよりも、政治を制度・行為・環境の相互連関として把握するための基本概念として用いられることが多い。この点で、本概念は政治文化、政治的社会化、ガバナンス、公共政策などの隣接領域とも接続している。[9][5][1]
関連項目
脚注
- ^ a b c d “政治システム”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g “政治体系”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ “政治体制”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ a b “インプット・アウトプット分析”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ a b “政治的社会化”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ a b “<紹介> D. イーストンの政治体系理論 : 特に「政治生活の体系分析」を中心として”. CiNii Research. 2026年3月28日閲覧。
- ^ a b “比較政治学”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ “政治発展論”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
- ^ “政治文化”. コトバンク. 2026年3月28日閲覧。
参考文献
- デイヴィッド・イーストン著、山川雄巳訳『政治体系―政治学の状態への探求』ぺりかん社、1976年。
- 森脇俊雅「D.イーストンの政治体系理論 : 特に『政治生活の体系分析』を中心として」『法と政治』21巻2号、関西学院大学法政学会、1970年。
- Easton, David. The Political System: An Inquiry into the State of Political Science. New York: Alfred A. Knopf, 1953.
- Easton, David. A Framework for Political Analysis. Englewood Cliffs, N.J.: Prentice-Hall, 1965.
- Easton, David. A Systems Analysis of Political Life. New York: John Wiley & Sons, 1965.
- Almond, Gabriel A., and G. Bingham Powell, Jr. Comparative Politics: A Developmental Approach. Boston: Little, Brown and Company, 1966.
政治システム
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「バアス党政権 (イラク)」の記事における「政治システム」の解説
サッダーム政権当時の政治は、革命指導評議会 (RCC) が担っていた。行政権はもちろん、立法権も評議会に属する9人の元にあった。さらに、RCC議長は、大統領、首相、軍最高司令官を兼ねており、極端な権力の集中が見られた。定数250人の国会にあたる一院制の国民議会が存在していたが、RCCが国会の議決を差し戻すことができた。 サッダーム政権下の司法体系は大きく3つに分かれていた。下級裁判所および控訴裁判所、治安裁判所、シャリーアに基づいた判決が一部認められている家庭裁判所である。陪審制を採用していないほか、いずれも大統領に判決を覆す権利が与えられていた。下級裁判所は刑事裁判の一審を担当する。二審は最高裁に相当する控訴裁判所である。ただし、法定刑が7年以上となる場合は、一審を介さず直接控訴裁判所が判決を下す。民事裁判は刑法以外に商法、民法に関わる裁判も扱う。治安裁判所は刑法のうち、反体制色の強い犯罪、すなわち外国為替法、輸出入法違反、さらに禁止薬物の取引、軽度のスパイ活動を裁いた。非常設の法廷として、国家安全保障に直接影響するとみなされた事件は別に設けられた特別法廷の管轄となった。また、国家元首の暗殺等、体制中枢を狙った犯罪は革命指導法廷が裁いた。
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