分析論
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1795年、フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフはホメーロス叙事詩全集の第一巻を編集した。ラテン語の序論中でヴォルフはホメーロスの叙事詩テクストの伝承を詳述することに力を入れた。その際ヴォルフは古代や同時代のホメーロスに関する論争をすべて分析し、諸論争を体系化して、既に知られていた生成理論の個々の部分から一つの仮説を打ち立てた。この仮説は方法論的かつ新規的なものであったため、ヴォルフの序論は学問としての文献学の基礎として通用するものになっている。 ヴォルフ理論の基本は古代初期の数世紀間には文字が存在しなかったという事実である。文字を通じたテクストの固定化が行われず、口頭による再現しか知られていなかった時代にホメーロスが生きていた以上、ホメーロスはあらすじの基的ライン(つまり確実に主要と言える中心部分)しか考え得なかったであろう、とヴォルフは言う。ラプソダイがこのようにして現前した基本構造を口述で拡張し、紀元前6世紀にアテーナイでペイシストラトスが手稿を使ってテクストを固定化し全体を作らせるまで、文面が変わった作品を基本構想に従ってさらに変容させた、と。このためヴォルフは、イーリアスとオデュッセイアは多数の詩人たちの共同創作である、というところから出発したのであり、彼によって狭義のホメーロス問題が発展するための一撃が加えられることになったのである(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはこの仮説のその時代への影響について、1821年に"Tag- und Jahresheften"中で以下のように描写している。「その教養ある人間性はもっとも深い部分で興奮させられたのである。最も高度に意義深い論敵の諸根拠を論破し得なかったとしても、そういった人間性は、それ程素晴らしいものの起源であるところの源泉について考えるという、古来の意識や衝動を自ら完全には消し去ることはできなかった。」)。 ヴォルフ理論はやがて反論を受けることになった(1871年には初期ギリシア語に文字が存在したことが紀元前740年頃の出土品から証明されている)が、これに続く分析的なホメーロス文献学に、原-叙事詩つまり起源の詩句を、今に伝わっているテクストから言語的-文体的に及び構造的に基礎付けられた分析を通じて濾過するという契機を与えた。カール・ラッハマン(1793年〜1851年)はそのようにしてイーリアスを10から14の個別の歌に分解している。アドルフ・キルヒホフによっては、オデュッセイアの中で一人の編纂者によって「へたくそに結合させられた」二つの詩が識別された。 既にこの時代まで統一論(下記)との論争を続けてきた分析論は、1916年にはウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフによってその最高点に達した。ヴィラモーヴィッツの中心的な関心事は、オリジナルの中核部分に何層にも渡って加えられてきたテクストの追加部分を再構成すること(ヴィラモーヴィッツは四人の編者について語っている)、さらにそうすることで「原-イーリアス」を現前する叙事詩から救い出すことであった。ヴィラモーヴィッツはホメーロスの中に、紀元前750年頃に既に存在していた複数のトロイア伝説の素材の円環による詩を、アキレウスの怒りという決定的な構想の下で構成した、一人の詩人を見出していた。こうしたホメーロスの「原-イーリアス」は、複数の詩人による四段階の編集過程に於いて後に変えられてしまった、とヴィラモーヴィッツは言う。叙事詩の統一はラッハマンに於いてはテクスト発展の最後に、ヴォルフに於いては最初に設定されていたのであるが、その後のヴィラモーヴィッツはこの統一を中間に置いたということになる。詩人の名前「ホメーロス」は後に、イーリアスより多くの原草稿や拡大部分からなるオデュッセイアの上に冠されたものである、とも彼は主張する。このテーゼをこのように具体的なレヴェルで証明することは困難であるが、言語的・文体的・文化的な考察に基いて、オデュッセイアはおそらく二世代を含む期間(約50年間)にイーリアスよりも遅く起草された可能性が高い、とは言われている。オデュッセイアの言語はより新しい形、より軽やかな流麗さを示しているし、オデュッセイアでは比喩の使用がイーリアスとは逆に強く限定されている。また、様式はイーリアスに比べるとあまり力強く英雄的な領域と結び付けられてはおらず、より小さな人生の領域に沈んでいるのである。 1947年からはヴィリー・タイラーによって、1952年からはペーター・フォン・デア・ミュール(1885年〜1970年)によって、分析は主導された。ミュールは二人の異なった古代の起草者の存在を根底に置いている。その内の古い方(ミュールによってホメーロスとされた)が原-草稿を著し、新しい方が紀元前6世紀に現存版を編集・拡張した、とミュールは言う。
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