マークIII
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マークIII(マークスリー、Mark III, Mk-III)
- 1 マークIIIとは
- 2 マークIIIの概要
Mk III(1967-1970年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:09 UTC 版)
「トライアンフ・スピットファイア」の記事における「Mk III(1967-1970年)」の解説
Mk IIIは1967年3月に登場した。外観では主要輸出先であるアメリカ合衆国の安全基準に合わせてバンパー位置が高められ、後ろも2本のオーバーライダーに代えてバンパーが付けられ、後退灯も標準装備となった。当初はそれまでと同様メーター類はダッシュボード中央に付けられて右・左ハンドル車作り分けのコストを節減していたが、1969年の米国向け輸出車からは新しいダッシュボードが用いられるようになり、後のMkIVからはそちらに統一された。エンジンはボアが拡大されて1296ccとなり(ヘラルドも同様に1300cc化されて13/60となった。新しい前輪駆動車1300と同じエンジン)、ツインキャブで75馬力を発揮した。MkIV以降のスピットファイアは公害対策等の理由で性能が徐々に低下するので、0-60マイル加速12.5秒のMKIIIは歴代最速のスピットファイアとなった。生産台数65,320台。
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Mk III
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1941年から生産が始まったバージョンで、半自動式になり高度1000フィートまで打ち上げることができるようになった。Mk IVも製造されたが、すでに時代遅れであり、実戦配備はされなかった。
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Mk.I, II
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「ヴィッカース QF 2ポンド砲」の記事における「Mk.I, II」の解説
まずイギリス陸軍で1889年に、続いてイギリス海軍で1892年に制式採用された。生産数は、Mk.Iが112門、Mk.IIが785門であった。またMk.IIは、1939年の時点でもなお577門が現役にあった。 基本的には元祖ポンポン砲として有名な29口径37mm機銃(QF 1ポンド砲)の大口径化版であり、作動砲式はショートリコイル式、銃身の周囲には水冷ジャケットが設置されている。砲弾としては榴弾も使用可能であった。装弾は35発入りの布ベルトによって行われた。 当初は歩兵砲のように平射を主としていたが、経空脅威の増大を受けて、第一次世界大戦が勃発した1914年には主として対空兵器として使われるようになっていた。これを受けて、Mk.IIを旋回式のペデスタル式銃架であるHA Mk.IIと組み合わせた高角機銃モデルも開発され、1915年3月より運用に入った。HA Mk.II銃架は手動式で、+80度から-5度までの俯仰が可能とされた。
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Mk.III
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改良型のMk.IV砲身と新規に設計されたMk.III砲架を組み合わせた型で、外見上はMk.IやMk.IIとの類似性がほとんど見られない。従来型よりも高仰角がとれるようになったため、射程距離も延伸されている。第一次世界大戦末期に実戦投入された
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Mk.III
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「QF 3.7インチ高射砲」の記事における「Mk.III」の解説
MK.IIIはMk.Iの砲尾とMk.IIの砲身を組み合わせたものである。
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Mk.III (1967–1976年)
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「ハンバー・セプター」の記事における「Mk.III (1967–1976年)」の解説
1967年にスーパーミンクスがハンターにモデルチェンジされると、セプターも新型に移行した。アローシリーズと総称されたこの新型では、フロントサスペンションがマクファーソン・ストラットに改められ、車体も低く幅広い近代的な(ただし没個性的な)デザインとなった。ルーツ・グループはこの年、クライスラーの傘下に入ったが、すでに完成していたアローシリーズの設計にはクライスラーの影響は及んでいない。 シンガー・ヴォーグが1970年に消滅し、シンガーブランドが消滅した後も生産は続行され、1974年10月にはワゴン版も追加された。このワゴンには、ルーフラックやカーペット貼りの荷室、当時の英国車では珍しかった後窓のワイパー・ウォッシャーが装備され、高級な小型エステートカーとして独自の雰囲気を有していた。しかし、次第に経営が苦しくなってきたクライスラー・ヨーロッパ部門の合理化の一環として、セプターはアローシリーズが生産終了する1年前の1975年をもって生産中止となり、ハンバーブランドの終焉となった。
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Mk.III
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 08:30 UTC 版)
Mk.IIの改良型で、高仰角時の排莢を行いやすくしたほか、固定式のマズルブレーキを取り付けている。既存のMk.IIを改修したMk.IIIと、新規に製造されたMk.IVに分けられる。 25ポンド砲の砲架にはMk.1砲架以外にも車輪の間隔を狭くしたMk.2砲架と、同じように車輪の間隔を狭くした上で高仰角をとれるように蝶番を組み込んだMk.3砲架も設計されている。
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Mk.III
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:43 UTC 版)
ようやく、6ポンド砲の量産が開始され、6ポンド主砲と砲塔・車体前部に機関銃装備という、最初の計画に沿った型。しかし当初は榴弾が用意されておらず、対戦車砲相手に苦戦を強いられた。Mk.I当時のトランスミッションの初期不良は改善されており、ソ連にも貸与されている。
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Mk.III
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「ヴィッカース QF 2ポンド砲」の記事における「Mk.III」の解説
潜水艦用の小口径高角砲モデル。また後に潜水艦から撤去されると、発動艇に転用された。100門が製造された。Mk.I, IIと同じ弾薬を使用するが、わずかに砲身を短縮している(37口径長)ほか、自動火器としての機構を廃していたものと見られている。
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