6両編成に統一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:31 UTC 版)
「名鉄7500系電車」の記事における「6両編成に統一」の解説
しかし、その後の需要変化に伴い、2扉クロスシートの7500系8両編成はラッシュ時には収容力が不足し、逆に日中は輸送力過剰な状態となった。また、8両編成ではホーム有効長や構内配線の関係で、名古屋本線以外の特急に運用することができなかった。このため、1970年4月には先頭車だけが6両製造され、7500系はすべて6両編成に短縮された。なお1970年にはモ7515・モ7516の2両の方向板が大型のものに交換された。これは展望室前面ガラスの虫除け対策として試験的にアクリル板を装着することになり、その台座としたためである。試験終了後も、この2両の方向板は大型のままであった。 この時期になると、朝夕のラッシュ時の混雑が激しくなり、すでに1967年からは犬山線でも8両編成の列車が走り始めていた。しかし、名鉄の社内から出た「通勤輸送にまとまった投資を行い、通勤用の新車を作ってはどうか」という意見にも、社長の土川元夫は「それは不経済車である」として、パノラマカーを列車体系の中心として、クロスシートに座って通勤という理想像を変えようとしなかった。土川は、財務的現状からも輸送力増強には旧型車両の鋼体化が最適としていたのである。 この時期のラッシュ輸送では、本線では8両編成でないと運用できず、連結ができないパノラマカーの6両編成は普通列車や支線などで運用させていた。それでもなお、津島線などでは人海戦術で乗客を車内に押し込む有様で、しかもそれでも積み残しが出てしまい、乗客からの苦情も多かった。このような状況下、7500系をはじめとする2扉クロスシートのSR車のラッシュ時運用は、もはや限界であることが明確になった。1975年には急遽東京急行電鉄(東急)から3扉ロングシート車である3700系電車を購入して3880系として運用されるようになり、1976年には3扉の通勤車両である6000系の登場に至ったのである。 名鉄では、1962年から観光路線で座席指定料金を徴収する特急の運行が開始されており、その後1965年にはキハ8000系を使用した座席指定特急が定期列車として設定されていた。これをさらに進める形で、1977年3月20日のダイヤ改正では特急はすべて座席指定車両となり、座席指定車両のない特急は「高速」という新種別に変更された。この特急施策の変更に伴い、特急は原則として7000系・7500系・7700系で運用されることになったため、座席のモケットを赤色に変更し、座席の枕カバーを白色、カーテンも緑色地のものに変更された。 1977年8月5日、名古屋本線を走行していた高速豊橋行きの7500系6両編成が、本宿駅から名電長沢駅の区間を走行中、暑さによってレールが歪んでいたところを走行した際に、後部4両が脱線するという事故が発生した。 7500系の定速制御機能は効果が薄く、また故障も少なくなかったため、1979年からは制御装置を集積回路を利用したES578B形に交換する改造が開始され、1981年12月までに交換は完了した。同時にシステムの簡素化が計られ、定速制御機能は失われた。また、主電動機についても1993年3月までにTDK848-0A形に更新された。 乗務員交代時にホーム上屋に頭部をぶつけてしまうおそれがある(左)ため、神宮前の駅ホームではホーム上屋を二重にして対応した(右) なお、7000系と7500系では乗務員の運転台の出入りには車体外側のステップを昇降するが、運転室に入る際に体をかがむようにしないと、ホーム上屋の角に頭をぶつけるおそれがある。このため、ほとんどの列車で乗務員交代のある神宮前駅において、構内配線が1984年に改良された際には、パノラマカーの乗務員の頭部負傷事故を防止するため、ホーム上屋を二重にして対応した。 なお、1985年12月ごろから側面の座席指定表示は使用されなくなった。
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