6世紀前葉まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:56 UTC 版)
全都道府県中最多の前方後円墳が確認されている千葉県にあって、ヤマト王権において最高の地位を占める臣というカバネを有した武社国造ではあるが、6世紀前葉までは領域に目立った古墳などは築造されていなかった。しかし、その後6世紀後半に大規模な古墳の築造が始まり、急速に数多くの古墳が築造されるようになった。また、上海上国造と下海上国造の領域の間に当国造の領域が入っていることから、房総の国造制の展開としては少なくとも2段階あったとされ、5世紀以前千葉県中部から茨城県、埼玉県、東京都にかけての一帯を支配した大海上国ともいうべき勢力圏があったが、6世紀に畿内の大王の有力な外戚和邇氏の一族である当国造が進出、大海上国は上海上国造と下海上国造に分割され衰退したとする考えもある。
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