6両固定編成の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:39 UTC 版)
「小田急5000形電車 (初代)」の記事における「6両固定編成の登場」の解説
1977年7月1日のダイヤ改正からは急行列車の大型10両編成による運転が開始された。既に大型通勤車両の6両固定編成にはNHE車と9000形が存在したが、NHE車は当時は車両特性が他形式と異なるという理由により他形式との連結を行なわない方針であったため、連結可能な大型6両固定編成が不足していた。また、9000形は地下鉄直通にも使用されるために地上線で使用できる編成は少なく、その必要両数も満たされていたことから、地上線専用の大型6両固定編成(5200形)を増備することになった。 小田原線の急行列車の主力となった5200形5254×6(1987年、開成駅-栢山駅間) 車両番号表記に特徴がある5256×6 1978年1月に5200形1次車・2次車として3編成が入線した新しい6両固定編成は、すでに運用実績のある5000形4両固定編成を基本としており、形式もクハ5050形・デハ5000形で変更されていないものの、5000形の設計変更という手法を採らずに新たに設計認可を受けていることや、側窓構造の違いや箱根登山鉄道線への乗り入れの可否などの相違点がある。同年12月には5200形3次車として2編成が増備されたが、この時から側面表示器が種別のみのものから種別・行き先を併記する仕様に変更された。1979年に増備された5256×6の編成は、前面の車両番号表記が他車よりも高くなっているという特徴があった。この後も1982年までに毎年増備が行なわれ、最終的には5200形だけで20編成が製造された。折りしも1982年7月12日のダイヤ改正からは、箱根登山鉄道線への大型6両編成乗り入れが可能となり、5200形は小田原線の急行列車の主力となった。一方の5000形も、江ノ島線の急行列車を主体に運用されるようになっていた。
※この「6両固定編成の登場」の解説は、「小田急5000形電車 (初代)」の解説の一部です。
「6両固定編成の登場」を含む「小田急5000形電車 (初代)」の記事については、「小田急5000形電車 (初代)」の概要を参照ください。
- 6両固定編成の登場のページへのリンク