5月場所(夏場所)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:46 UTC 版)
1946年の夏場所は戦争によって被災した国技館の修理が工事の遅延によって完了しなかったため、戦後初の開催中止となった(番付は発表されなかった)。 2001年、首相就任直後の小泉純一郎が内閣総理大臣杯の授与を行い前日の負傷を押して出場し22回目の幕内最高優勝を勝ち取った横綱貴乃花に対して「痛みに耐えてよく頑張った! 感動したっ! おめでとう!」との賛辞を送った。小泉の「感動したっ!」は流行語ともなった。なおこの負傷が原因となり、貴乃花はこの優勝を最後として2003年に現役を引退し、貴乃花親方を経て2018年に日本相撲協会を退職した。 2011年は前場所の開催中止に引き続き八百長問題の影響で、通常の興行としてではなく技量審査場所として開催された(成績は正式記録として残る)。この場所は無料公開され、NHKはこの場所の生中継を行わず、総合テレビと衛星放送でのダイジェスト放送も行わない(ニュースでの報道は行う)。優勝額もなし。一方でニコニコ生放送・ひかりTV等のネット配信で、前相撲から結びの一番まで完全生放送が行われた(詳しくは技量審査場所を参照)。 2012年は、関脇鶴竜の大関昇進で1横綱6大関時代と話題になったが、前頭7枚目の旭天鵬が同4枚目栃煌山との史上初の平幕同士の優勝決定戦を制すると同時に初優勝の最年長記録を更新した。 令和最初の大相撲開催となった2019年は千秋楽に国賓として来日していたアメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプが国技館に来場し、メラニア・トランプ夫人や安倍晋三内閣総理大臣、安倍昭恵夫人と共に相撲を観戦。幕内優勝力士となった朝乃山に特別杯「アメリカ合衆国大統領杯」を贈呈した。なお、この大統領杯は来年以降も夏場所の幕内最高優勝力士に贈呈する予定となっている。 2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため当初は日程を2週間遅らせることとして、その日程で番付も発表されたが、その後緊急事態宣言の延長を受けて開催中止を決定。本場所の中止は1946年(昭和21年)夏場所、2011年(平成23年)春場所に続き3回目。 名勝負 1936年9日目 横綱玉錦 - 関脇双葉山 ともに全勝で迎えたこの一番で双葉山は寄り倒しで玉錦に初勝利。双葉山はこの場所を11戦全勝で初優勝しその後5連覇を達成、この一番は覇者交代の一番と言われた。 1938年千秋楽 横綱双葉山 - 横綱玉錦 ここまで65連勝中の双葉山に対し玉錦が執念を見せ水入りの熱戦となるが、最後は双葉山が寄り倒した。玉錦はこの年の12月に急逝し、これが現役最後の一番となった。 1942年14日目 横綱双葉山 - 大関照國 当時東西対抗戦が行われていた中、前の場所に出羽一門中心の陣営の総帥・横綱男女ノ川が引退し、戦力の均衡を図るためもう片方の方屋である双葉山中心の陣営から照國が移籍。初顔合わせとなったこの日の対戦で照國は下手投げで双葉山を破り、優勝は逃したもののこの1勝が決め手となり、照國は大関在位2場所で場所後横綱に昇進。 1961年4日目 十両筆頭清ノ森 - 前頭13枚目佐田の山 入幕3場所目で初優勝を飾った佐田の山だが、4日目にこの場所十両優勝の清ノ森に敗れており、十両に負けた力士が幕内優勝という珍しい例となった。 1971年5日目 小結貴ノ花 - 横綱大鵬 貴ノ花に寄り倒された大鵬はこの一番を最後に現役を引退した。 1975年8日目 小結麒麟児 - 前頭筆頭富士櫻 天覧相撲に組まれたこの一番で、両者は27秒に渡り計54発の突っ張り合いを展開した。 1988年初日 前頭7枚目霧島 - 前頭8枚目水戸泉 いずれもうっちゃりで3度も取り直しとなり、最後は水戸泉がまたもうっちゃりを狙う霧島を寄り倒し、4回目で決着が付いた。 1991年初日 前頭筆頭貴花田 - 横綱千代の富士 1980年代、昭和最後の大横綱・千代の富士と後に貴乃花として平成の名横綱になる貴花田の初顔合わせの一番。この一番で、千代の富士は寄り切られて完敗。貴花田は初金星を獲得。一方、千代の富士は2日後に現役引退。力士の世代交代の時を世間に知らしめた一番となった。
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