5月県教委より強制着任命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:55 UTC 版)
「校長着任拒否闘争」の記事における「5月県教委より強制着任命令」の解説
県教委は、県教委職員を付き添いにし、PTA、同窓会と密接に連携し校長の着任をはかるという方針を打ち出した。黒木高等学校では、5月2日正門には約40名のピケ隊が待機していたが、同窓会役員の誘導により校舎裏側より校舎へ進み、校長室へ入室する。体育館ではPTAの予算審議が行われており、校長着任の報告でPTAより拍手が起きる。高教組の校長自宅への抗議が予測されたので、校長は福岡市内の親類宅へ緊急避難した。3日二度目の強制着任を決行する。午前9時、学校玄関に到着するが、人影なし(私服刑事が徘徊していた)、入校しようとすると数名の職員が出てきて阻止、交渉を行うが打ち切り校長が事務室に入ったところ、組合員が充満しており校長室へ進めない。喧々囂々怒号、罵声が続き、事務局長が校長室のドアをあけ、入室に成功する。組合支部役員が急を聞き訪れ、交渉がはじまるが、「黒木町には住まわせない」などと校長に言う。8日に9名の校長の強制着任を決行。そのうち鞍手農業高等学校校長が学校正門前にスクラムを組んだ120名の組合員に取り囲まれ、PTAなどの手引きで入校をこころみたが、メガネをむしり取られ、胃のあたりを鉄拳で強打され車にのせられた。その後、吐血、血痣が背中にでき入院。また、北九州盲学校では県職員とともに午前8時半入校を試みるが高教組書記長ら50名の組合員がスクラムを組み待ち構えて、押し返された。翌日も県職員とともに校長が入校を試みたが80名のピケ隊によって阻止。「お前を校長と認めない。帰れ」「革命に犠牲はつきものだ」など罵声が浴びせられた。9日未着任高等学校は、水産高等学校、久留米聾学校、北九州盲学校、鞍手農業高等学校で、11日に鞍手農業高等学校以外の三校は警官隊を導入して着任をはかる。11日朝、水産高等学校では正門脇門を閉鎖する80名のピケ隊たちに対して、校長が泣きながらマイクを使って道をあけるように説得し、文書を掲げて退去を要求したが、「きさま」などの言葉が飛び、応じることはなかった。やむをえず、校長は事前警備を依頼していた宗像警察署に出動要請をおこなった。お昼過ぎに校長が校地周囲の柵の切れたところより校地内へ入り、その後警官隊のピケ隊排除が始まった。校長は警官に手を取られながら空を泳ぐように進み、この間校長室に通じる廊下に座り込んでいる50名の組合員に足や腹を蹴られながらも校長室に辿り着いた。しかし、生徒が「校長帰れ!警官帰れ!」などと叫んで騒ぎ始め、教員は誰一人止めようとせず黙ってみている状態で、校長は長く校長室にいることもできず20分間で警官隊に保護され下校した。11日、北九州盲学校では校長が県職員とともに入校を試みるが80から100名のピケ隊がスクラムを組んでいた。マイクを使い盲学校職員以外は外にでるように、校長室への道をあけるように通告し、次に警官出動要請の警告を出し、入校しようとしたが、ピケ隊に阻止された。土曜日であったため、生徒が帰宅した午後から警官出動要請をしようとしたが、他労組が応援に駆け付けるという情報が入り、零時すぎに警官出動要請をして約40名の機動隊に守られながら校地内に入った。
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