2010-2020年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:15 UTC 版)
「シティ・ポップ」の記事における「2010-2020年代」の解説
イギリスでは早くから山下達郎の曲などのシティ・ポップがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と称されていた。 2000年代に入ってインターネット環境が普及し、ストリーミングや動画配信サイト (YouTube) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、AORを再評価していた米国の音楽マニアたちがネットで「発見」するに至った。彼らにとってシティ・ポップは「AORの秘境」であり、日本に閉じた流通や言語の壁もあり、それまで存在が知られていなかった分インパクトも大きかった。海外では日本語を扱える者が少なく、ネットでも日本語を入力して検索する事が難しいため、海外の音楽マニアではない一般人は依然としてシティ・ポップの存在に気付くことはなかった。 2010年代前半には音楽家がヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクに使うレトロな大量消費社会のモチーフを探す一環で、特にシティ・ポップや日本のバブル期のCM等をサンプリングして作品で用いるようになった。また、アートワークやミュージック・ビデオなどの視覚的イメージにも日本語や日本の1990年代までのCMやアニメの断片が用いることが多くなった。その後、それらの作品の愛好家が更にサンプリング元となった曲を探したことで、シティ・ポップも徐々に一部の音楽マニアの間でのみ知名度を獲得して行った。またヴェイパーウェイヴのBGM的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっているチルアウトの音楽にも影響を与えた。2010年代にはシティポップは欧米圏のみならずアジア圏でも評価されるようになって音楽マニアの間で多数のファンを獲得するようになり、2017年頃からはネット配信されていないレコードやCDを爆買いするために来日する外国人が多くみられるようになった。また2018年にはYouTubeに無許可アップロードされた竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・アルゴリズムにより偶然世界中のユーザーに推薦されると、音楽マニアではない一般人の間でも謎の楽曲として興味本位で聴き始める者が増え、結果として世界中から約4000万回もの再生数を記録するほど大きく注目された。 2020年には、10月にYoutuberのRainychがカバー曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなり、同作のレコード盤がポニーキャニオンから復刻されることとなった。2022年1月、カナダのアーティストであるザ・ウィークエンドが、亜蘭知子の「MIDNIGHT PRETENDERS」(1983年)をサンプリングしたシングル「Out of Time」をリリースした。この曲は、同年1月22日付のBillboard Hot 100で最高位32位を記録した。 このように、レトロ志向ではっぴいえんど中心的な出版物に支えられる形で起こった小規模なシティ・ポップ・リバイバルが、2010年代に加熱的な盛り上がりを見せた(80年代ノスタルジア全般の復権と結びついたという指摘もある)。一方で、新しいミュージシャンによって制作されている「ニュー・シティ・ポップ」は、従来のシティ・ポップとの関係性や、直接的な音楽的影響が否定されることもある。アルバム・アートの多様性の視覚的影響からも「ニュー・シティ・ポップ」の膨大な音楽的バリエーションを見出すことができ、特定のアルバムを除けば、かつてのシティ・ポップ的様式と「新しいシティ・ポップ」との間に美学的な強い繋がりを見出すことは難しくなっている。しかしながら、このジャンルが体現しようとした「洗練」「センス」「オシャレ」といった諸概念は、歌詞や記事によって常に強調されてきており、数十年に渡る時の中で「シティ・ポップ」というジャンルの中で非言語的な記号は大きく変化したものの、こうした修飾語の用法は通史的に見てもほとんど変化していないことから、シティ・ポップとはどのようなものか、という考えに関する確かな一貫性は見られている。 日本の音楽レーベルは長らく日本に閉じた市場で作品をリリースしてきたことから、シティ・ポップへの世界的評価が高まりつつあった2010年代も、海外への作品の売り込みに消極的な立場を取っていたが、YouTubeにおける大量の違法アップロード音源の問題もあって2010年代末に「なるべく世界のユーザーに聴いてもらう」ように考え方が変化し、日本の音楽レーベル各社も積極的にYouTubeに公式ミュージック・ビデオをアップロードしたり、ダウンロード販売やサブスクリプションを解禁するなど、海外への売り込みを開始している。
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2010~2020年代
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「キングズ・ヘッド・シアター」の記事における「2010~2020年代」の解説
2010年3月にアダム・スプレッドベリ=マーが芸術監督になった。 2010年10月に、キングズ・ヘッド・シアターは「ロンドンの小さなオペラハウス」になると宣言し、ロンドンで40年ぶりに開業した新しいオペラハウスとなった。2010年10月に最初に上演したのはオペラアップクロースによるジェイン・オースティンソールズベリーを舞台にしたジョアキーノ・ロッシーニの『セビリアの理髪師』であった。同時期にマーク・レイヴンヒル(英語版)が副監督になり、ジョナサン・ミラー、ジョアンナ・ラムリー(英語版)、トム・ストッパード、アラン・パーカーなどがパトロンをつとめた。2018年のオフ・ウェスト・エンド賞ではキングズ・ヘッド・シアターで上演された『トスカ』がオペラ部門賞を受賞した。 2020年、キングズ・ヘッド・シアターはこれまで使用していたパブの裏のスペースから隣に建てた劇場に移転する計画だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により財政的な危機に陥った。 2021年8月、マーク・レイヴンヒルとハナ・プライスが共同でキングズ・ヘッド・シアターの芸術監督をつとめることとなった。
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