1966年死刑確定囚(12人)
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事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)釧路雑貨商夫婦殺害事件 (M) 1966年2月4日 1963年11月6日 上告棄却。犯行時19歳(少年死刑囚)で、パチンコ代欲しさに民家を物色中、被害者が寝返りを打ったことに驚き夫婦2人を手斧で殺害。一審は無期懲役。1967年に死刑執行。 横浜韓国人夫婦殺害事件 (C) 1966年3月13日 1964年8月5日 控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例。1969年に死刑執行。 四国連続強盗殺人事件 (M) 1966年3月31日 1964年10月2日 - 20日 6人殺害。軍隊時代に脱走する際看守を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日に死刑執行。 座間市女性殺害事件 (K) 1966年4月8日 1963年6月22日 上告棄却。帰宅途中の女性を家まで送ってやると声をかけライトバンの助手席に乗せたが、草地に連れ込み乱暴した上で殺害し遺体を埋め、腕時計を奪った。1969年3月14日に死刑執行。 小倉強盗殺人放火事件 (H) 1966年5月31日 1963年2月22日 上告棄却。 旭川連続短銃殺傷事件 (C) 1966年5月31日 1964年6月15日1964年6月17日1964年6月18日 上告棄却。 熊谷夫毒殺事件・ホテル日本閣殺人事件(小林カウ) 1966年7月14日 1952年10月2日1960年2月8日1960年12月31日 ホテル経営者夫妻を相次いで殺害。 戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。女性死刑囚としては戦後初の死刑執行[要出典]。1970年6月11日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。 ホテル日本閣殺人事件 (O) 1966年7月14日 1960年2月8日1960年12月31日 上記共犯。1970年6月11日に小林とともに東京拘置所で死刑執行。 西口彰事件(西口彰) 1966年8月15日 1963年10月18日1963年11月19日1963年12月29日 元同僚ら5人を殺害。上告取下げ。1970年12月11日に死刑執行(44歳没)。 日南刑務所仲間両親強盗殺人事件 (N) 1966年8月26日 1965年9月29日 控訴せず確定。重過失致死前科、傷害致死前科。1969年12月19日に死刑執行。 厚木建築業者一家4人殺害事件 (H) 1966年12月1日 1964年10月25日 1944年(昭和19年)10月3日生まれ(事件当時20歳)。神奈川県厚木市厚木444番地で、大工見習いとして働いていたが、普段から厳しく叱責してくる雇主夫婦を恨み、「雇主一家を皆殺しにして恨みを晴らすと同時に、金品を奪おう」と決意。1964年(昭和39年)10月25日、雇主(当時34歳)と妻(同33歳)、長男(9歳)・長女(7歳)の一家4人を玄能や薪割りなどで撲殺し、金品を奪った。1965年(昭和40年)6月28日に横浜地裁第4刑事部で死刑判決を、1966年(昭和41年)5月24日に東京高裁第6刑事部に控訴棄却判決を受けた。同年12月1日に最高裁第一小法廷(岩田誠裁判長)で上告棄却の判決を受け、死刑が確定。1969年に死刑執行。『刑事裁判資料』第189号および、同資料を引用した永山事件の上告趣意書 (1983) では少年死刑囚(事件当時18歳)とされているが、これは誤り。両資料とも、事件発生日が「1962年(昭和37年)10月25日」と誤記されている。 九州3女性殺害事件(S) 1966年12月8日 1952年9月10日1962年1月23日1962年3月26日 上告棄却。1952年9月10日に唐津市にあった炭鉱で女性を殺害。1962年1月と3月にも女性を殺害。他にも婦女暴行や詐欺罪など4件で起訴されていた。翌年1月12日に判決訂正申立棄却で確定。殺人前科(懲役8年)。1970年6月20日に死刑執行。
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