1966年以降の作品
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I READ タイトルは「私は読んだ」の意。1966年10月2日に開始されたシリーズで、河原が「日付絵画」を制作した日に関係する新聞記事の切り抜きを貼りこんだルーズリーフ・ファイルである。作者が日本にいた日には、日本語の新聞が切り抜かれている。 I MET タイトルは「私は会った」の意。1968年5月10日に開始されたシリーズで、河原がその日1日に会った人物の氏名が欧文表記でタイプ打ちされ、ルーズリーフ・ファイルに綴じ込まれている。タイプされているのは氏名のみで、人物の肩書き、エピソードなどは何も書き込まれていない。なお、日付は当地で慣用の欧文表記の回転式日付ゴム印を用いて刻印。 I WENT タイトルは「私は行った」の意。1968年6月1日に開始されたシリーズで、河原がその日滞在した街の地図のコピーがルーズリーフ・ファイルに綴じ込まれている。地図上には、河原が徒歩、電車、船等で通った道筋が赤い線で示されている。 I GOT UP タイトルは「私は起床した」の意。1968年5月10日に開始されたシリーズで、絵葉書による作品。毎日、特定の2人の人物に絵葉書を送るもので、葉書の通信欄にはたとえば"I GOT UP AT 8.20 A.M."のように、その日の何時何分に起床したかという事実のみが記され、文面、差出人と宛先の住所氏名等は手書きでなくゴム印で押されている。1979年、このゴム印の入ったかばんが盗まれたことにより、このシリーズは終わりを告げた。葉書は世界各地から投函され、差出人住所が「北大西洋、クイーン・エリザベス2世号」となっていたこともある。 I AM STILL ALIVE タイトルは「私はまだ生きている」の意。1970年から始まったシリーズで、特定の人物あてに電報を送るもの。電報は世界各地から送られてくるが、文面は常に同じで、"I AM STILL ALIVE ON KAWARA"(ワタシハ マダ イキテイル カワラオン)というものである。このシリーズに先立ち、1969年12月、河原はパリの展覧会主催者に宛てて次のような文面の3通の電報を送ってきた(原文は英語)。「私は自殺する気はない。心配するな。」「私は自殺する気はない。心配せよ。」「私は眠ろうとしている。忘れよ。」(それぞれ1969年12月5日、8日、11日付け)それ以後、電報の文面は"I AM STILL ALIVE"に固定されている。 One Million Years(百万年) これもルーズリーフ・ファイルによる作品。『百万年過去』と『百万年未来』がある。過去編は"998031 BC"(紀元前998,031年)から始まり、以下、1ページに500年分が"998030 BC 998029BC 998028 BC.. "のように延々とタイプ打ちされ、最後の2,001ページ目は"1969 AD"(西暦1969年)で終わっている。「これまで生き、死んだ全ての人へ」(原文英語)という献辞がある。未来編は同様に西暦1981年から西暦1,000,980年までの百万年をタイプしたもので、"FOR THE LAST ONE"(最後の1人へ)という献辞がある。男女が交互に年号を読み上げるCDバージョンもある。
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