1966年の計画
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「メトロ (アムステルダム)」の記事における「1966年の計画」の解説
1966年、アムステルダム市はメトロの建設計画を発表した。計画では以下の4路線を建設し、市内ほぼ全域をメトロで結んで既存のトラムの多くを置き換える予定であった。 南東区(末端で2つに分岐)から中央駅、ライツェ広場(Leidseplein)などを経由し西部のOsdorpに至る路線。東半分が現在の東線(53、54系統)である。 湾岸地区西部から市街地西部、南部を通ってディーメン(Diemen)に至る路線。東端を除けば現在の50系統にほぼ一致する。 北区(Amsterdam Noord)から中央駅を経由しアムステルフェーンに至る路線。両端でそれぞれ2つに分岐する。南側の分岐のうち、東側がほぼ現在の51系統の地上区間に一致する。中間のBuikslotermeerplein-中央駅-南駅間は#北南線として工事中である。 中心部の南よりを通る東西路線。 1968年に市議会は計画を承認し、同時に東線を最初に建設することが決まった。これは南東区で大規模な住宅開発が計画されていたことに加え、地下区間が最も短くてすむためでもある。東線の建設は1970年に始まった。
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