1966年の橋
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老朽化に加え、狭い幅員が除雪の支障となることから、橋は架け替えられた。1966年11月10日完成、長さ200.0m、幅6.0mのPC単純T桁橋であった。
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1966年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 01:30 UTC 版)
1966年(昭和41年)に旧大芦橋や旧糠田橋とよく似た外見を持つ、鋼管パイル製の橋脚を持つ木製桁の冠水橋に架け直された。橋脚は太い鋼管パイルを3本立てて上・下流側に鋼管製の斜材を配した23.5メートルの揺れ止めが設けられている。欄干は増水時に備えて取り外しが可能で、鉄パイプを立ててロープを張った簡易な物である。橋長63メートル、幅員4.5メートル。交互通行と重量制限は引き続き設定されていた。この橋は永久橋が完成する直前の1971年(昭和46年)8月30日の15時20分に台風23号の洪水で流失した。自動車やトラックなどは開平橋や御成橋に迂回し、路線バスは荒川を境に折り返し運転する措置を取った。冠水橋は現在の橋に付け替えられた際に役目を終えて廃止となり撤去された。冠水橋の遺構は残されていないが、痕跡として水位が低い時に川の中に橋脚の跡を認めることができる。また、その取り付け道路は現在の橋のすぐ上流側に平行する農道として現存している。
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1966年の橋
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1965年(昭和40年)8月の台風17号で流失した橋は、1966年(昭和41年)1月復旧工事に着手し、冠水橋(潜水橋)として架け直され3月に完了した。この1966年に架け直された橋は木部の腐食箇所の修繕を繰り返しながら40年以上使われ続けた。この間、1983年(昭和58年)の台風5号・6号、1985年(昭和60年)の台風6号、2007年(平成19年)の台風9号で冠水が発生している。地元の要望を受け、1996年(平成8年)1月末には老朽化した橋桁の木材を交換し、橋桁の塗り替えを行なう改修工事を実施した。 近年では2011年(平成23年)の洪水で被災し、その際には上部工の詳細設計に336万円と工費2,121万円を掛けて災害復旧工事を行い、木製の橋桁から現在のコンクリート製の橋桁に交換された。下部工(橋脚)は流用され、塗色も今までの青色から茶系の色に塗り直された。
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1966年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:59 UTC 版)
現在の橋は、約300メートル下流に架け替えられたもので、東京オリンピックの工事の影響もあって工事が遅れ、着工から5年半の時間を要したが、1966年(昭和41年)6月21日開通した。総工費は約11億8520万円が投じられた。ランガー桁はベント工で桁を支持しながらキャリアクレーンを用いて架設された。開通式は都区共催で同日地元の人80名が参加する中挙行され、鈴木俊一東京都副知事によるテープカットが執り行われた後渡り初めが行なわれ、同日14時から橋の一般供用が開始された。開通後は川上の旧橋は全面閉鎖され、解体撤去された。ただし、取り付け道路は橋の両詰は民家が密集していて用地買収が遅れたため、左岸側がまだ未完成で、1967年(昭和42年)においてもその計画は具体化されていなかった。
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1966年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 08:44 UTC 版)
1965年の洪水の後、太い鋼管パイル製の橋脚を持つ木製桁の冠水橋に架け替えられ、1966年(昭和41年)3月に竣工した。冠水橋は上・下流側に鋼管製の斜材を配した揺れ止めが設けられていた。橋長60.5メートル、幅員3.6メートルですぐ下流に架けられていた旧糠田橋とよく似た外見を持ち、自動車の通行が可能であった。道幅が狭いことから片側交互通行であった。欄干は初めは付けられていなかったが、のちに鉄パイプを立ててロープを張った簡易な欄干が取り付けられた。また、後に老朽化により4トンの重量制限を課していた。また、路線バスは橋の通行が不能なため、手前で折り返していた。1979年の永久橋が竣工した際、吉見橋は農道として存続されたが、冠水橋の方は撤去された。冠水橋の遺構や痕跡は残されていないが、橋への取り付け道路は吉見橋と共に、農道として転用されている。
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