1966年の再選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 12:28 UTC 版)
「1961年の国際連合事務総長の選出」の記事における「1966年の再選」の解説
1966年、ウ・タントは米ソ両国の支持を得て無投票での再選が確実となった。唯一の問題は、彼が2期目の就任を受け入れるかどうかだった。9月1日、ウ・タントは「私は事務総長として2期目の立候補をしないことにした」という声明を発表した。ウ・タントは、12月2日の総会終了まで、後任者が決まるまでの間、留任することを申し出た。 しかし、ウ・タントの後継者として立候補する者は現れなかった。11月23日、ウ・タントはアメリカのアーサー・ゴールドバーグ(英語版)大使に、メンツ(英語版)を保つための何かを理事会が与えてくれなければ決定を覆すことはできないと説明した。ウ・タントは、安全保障理事会議長および(中国を除く)全ての常任理事国と会談した。彼らはタントに行動の自由を約束し、「お飾りの事務員」にしないことを確約した。 12月2日、安全保障理事会は全会一致で、ウ・タントを総会に推薦する決議229(英語版)を採択した。総会では120-0-1で、ウ・タントを国連事務総長として再任することが決議された。任期は1971年12月31日までとされ、以降の事務総長の任期も暦年に合わせることとなった。
※この「1966年の再選」の解説は、「1961年の国際連合事務総長の選出」の解説の一部です。
「1966年の再選」を含む「1961年の国際連合事務総長の選出」の記事については、「1961年の国際連合事務総長の選出」の概要を参照ください。
- 1966年の再選のページへのリンク