傷害致死前科
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:57 UTC 版)
母K2が当時経営しK3が働いていた大牟田市内の建設会社では2000年6月16日から少年X(当時18歳)が住み込みで勤めていたが、Xはやがて無断で出勤しなくなり、同年6月20日には住み込みの寮から逃げ出した。これに腹を立てたK3(当時19歳少年・建設作業員)は「Xに制裁を加えよう」と考え、寮から逃げたXが城島町内の女友達数人に連絡していたことを把握するとその女友達に対し「後述の現場付近でXと会う」と約束させた。 K3は不良仲間の少年計6人(いずれも当時16歳・17歳、うち2人は当時高校2年生)とともに2000年6月25日2時30分ごろ、福岡県三潴郡城島町江上本(現:久留米市城島町江上本)の福岡県道702号柳川城島線・大溝端橋にXを誘い出した。しかしXが身の危険を感じて逃げ出したため、K3ら7人は約300メートル(m)にわたりXを追跡し、Xを捕まえると顔などを木刀で殴るなど暴行を加え、農業用クリーク(水路)に転落させた。水路に転落したXに対しK3たち7人は木刀を差し出して助けようとしたが助けられず、Xはそのまま水死した。K3は事件後、共犯の少年たちに対し「言うなよ」「黙っておけ」などと犯行を口止めしていた。 2000年6月28日午前5時40分ごろ、近隣住民がクリーク(深さ約3メートル・幅約20メートル)の水門付近にてXの水死体を発見した。遺体は検視の結果「死後3日 - 4日経過・死因は水死」と判明した一方で目立った外傷はなく、胃の内容物にも不審点は確認されなかった上、財布・携帯電話を身に着けたままだった。また現場はXの自宅から約20キロメートル離れていたが、付近にはXの車・バイクはなく現場に向かった動機は不明瞭だった。 Xは家族に行き先を告げずに自宅を出ていた一方、自殺するような動機は見当たらなかったため、福岡県警が「現場に向かった経緯クリークへの転落原因に不自然な点がある」として捜査を進めた結果、「遺体発見の数日前には現場付近に複数人の男性がおり、そのうちの1人は死亡したX自身だった」ことが判明したため、県警は2000年10月1日から「Xは複数の男性と一緒か、グループから呼び出されて現場に行った後、現場で複数の男性と何らかのトラブルになりクリークに転落した」という線で関係者から事情聴取を開始した。 福岡県警少年課・城島警察署(現:久留米警察署城島警部交番)は2000年10月30日に「大牟田市内の不良少年グループがXに集団リンチを加えた上でクリークに転落させ水死させた」としてグループに所属していた当時19歳の少年K3と高校2年生の少年2人・建設作業員など少年計6人を傷害致死容疑で逮捕した。残る被疑者1人(大牟田市内在住・16歳少年)は行方が把握できなかったが同容疑で逮捕状を取り行方を追ったところ、翌日(2000年10月31日)に城島署へ出頭して逮捕された。 K3らは取り調べに対しいずれも容疑を認めた上で「水路に背を向けていたXに木刀で殴り掛かったところ、Xが身をよじって避けようとして水路に落ちた。約1時間半にわたってXを探したが暗くて発見できなかった」と供述した。福岡地方検察庁久留米支部は2000年11月20日にK3ら被疑者少年7人を傷害致死容疑で福岡家庭裁判所久留米支部へ送致し、福岡家裁久留米支部は同日に2週間の観護措置を決定して被疑者少年7人を福岡少年鑑別所(福岡市)へ収容した。 福岡家裁久留米支部(大原英雄裁判官)は2000年12月13日までに少年審判を行って非行事実を認定した上で、傷害致死容疑で送致された被疑者少年7人のうち主犯格のK3を「刑事処分相当」として福岡地検久留米支部に逆送致処分することを決定した。これを受け福岡地検久留米支部は2000年12月22日、逆送致からこの日までに20歳になった被疑者の男K3を傷害致死罪で福岡地方裁判所久留米支部へ起訴した。 被告人K3は2001年(平成13年)2月13日に福岡地裁久留米支部(大原英雄裁判長)で開かれた初公判にて起訴事実を全面的に認め、2001年6月26日に同支部で開かれた判決公判にて懲役3年6月(求刑:懲役5年)の実刑判決を受けた。
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