1951年 - 1954年
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「ハドソン・ホーネット」の記事における「1951年 - 1954年」の解説
1951年式ホーネットは、既にハドソンが1948年式コモドールで採用した「ステップダウン」デザインを踏襲して採用していた。 この構造は、ボディとフレームを一体構造とした、一種のビルドインフレーム型のユニットコンストラクション方式で、フレーム上にフロアパンを載せるのではなく、フレームレール間にフロアパンを埋め込んでいた。このためこのタイプの構造を持つハドソンの乗車時には、一歩階段を下りる(ステップダウン)ように乗りこんだのが、命名の由来である。 ステップダウンシャシーの低重心構造は機能的かつスタイリッシュでもあった。ハンドリングが向上しただけでなく、乗員6人が低い着座位置でゆとりのある贅沢な乗り心地を味わえた。ボディには後輪ホイルアーチがなく、後輪はボディ外板で覆われて、低く構えた外観を強調していた。 ホーネットには2ドアクーペ、4ドアセダン、コンバーチブル、ハードトップクーペの仕様があった。価格はコモドールエイトと同程度で、US$2,543から$3,099だった。 ホーネットはすべてハドソンの高圧縮ストレートシックス"H-145"エンジンを搭載した。Lヘッド(サイドバルブ。フラットヘッドとも)デザインの排気量308 cu in (5.05 L)は当時、乗用車用としては「世界最大排気量の6気筒エンジン」だった。ビッグスリーに代表される他のメーカーからより高回転向けのV型8気筒エンジン搭載の新型車が次々と登場していた当時、シャーシ性能に優れていながら、エンジン開発余力の乏しさゆえに旧弊なサイドバルブ6気筒の大排気量に頼らねばならなかったのは、量産規模が限られたハドソンの弱みであった。それでも手持ちエンジンを強化する最大限の努力が為された。 その当初は、ツーバレルキャブレターで3800rpm時トルク145 hp (108 kW)。 エンジンは適切なチューニングをすればさらに出力が上がった。マーシャ・ティーグはAAAやNASCARの検査を合格したストックカー仕様のホーネットで112 miles per hour (180.2 km/h)を得たと主張した(見せかけのレース部品"severe usage"オプションを開発したハドソン技術者も同様にコメントしている)。 ハドソンエンジンとホーネットの走行性能の組み合わせにさらにチューンが施され、ダートばかりで舗装部分が極端に少なかった1950年代のレースでは、パワーと低重心シャーシの効果で無敵の強さを見せた。 1952年の"Twin-H"バージョンではデュアル・シングルバレル・キャブレター(dual single-barrel carburetors)をデュアルインテークマニホールド上に置き、170 hp (127 kW)と出力が向上した。ボンネットには機能的なスクープ(scoop)で外気をキャブレターに送った。これは1954年時点では、ラムエア(Ram Air)以上の「ベンチレーション」である。ハドソンが後に提供した"7-X"モディフィケーションを装備すればエンジンは210 hp (157 kW)を出力した。1952年から1953年にかけてホーネットは小規模な化粧替え(minor cosmetic enhancements)を行なったが、まだ1948年式コモドールの面影を強く残したままだった。 ストックカーレースでホーネットはほぼ無敵だったが、「レースでの活躍にもかかわらず・・・販売が下降を始めた。」ハドソンのライバル企業は、セミモノコック構造の部分導入はあっても基本はボディオンフレームの独立シャーシだったため、高コストとなるシャーシ設計の変更をせずに、ボディのみの手直しで毎年度、小変更を加えた新年度モデルを発表することができた。一方、ホーネットは、モダンで洗練されたユニボディ構造が却って制約となり、変更にはより多くのコストがかかった。ホーネットの本質は変わらないままだったが、ビッグスリーの計画的陳腐化の犠牲にならざるを得なかった。 最終的に1954年式では主流のスクエア(四角)にデザイン変更された。室内を取り囲んでいたステップダウンフレームなどに大きな変更が必要で、工作機械ツール類の一新など生産コストに跳ね返ることになった。フロントはシンプルなグリルとなり、飾りでないフッドスクープ(hood scoop)が装備され、曲面で一体形成されたフロントガラス、当時流行ったフェンダーのクローム飾りがボディサイドについた。以前はスロープ状のセミ・ファストバックだったリアエンドは、スクエアなノッチバックになった。室内では新しくなったダッシュボードとインストルメントクラスターは、かなり現代風となった。V8エンジンはなくなり、308 cu in (5.05 L) 6気筒シリーズ一番のホーネットでは160 hp (119 kW)を出力した。レース用の170 hp (127 kW) "Twin-H-Power" (7-X)が工場オプションだった。 このデザイン見直しはルックスとスタイルの点では満点だったが、販売増に貢献するには時期が遅すぎた。 改良された「ホーネット・ブルーアム」のコンバーチブル仕様は、ハドソンの唯一のコンバーチブル仕様だった。魅力的だったが、価格は1954年式6気筒モデルでUS$3,288と高価だった。 ホーネットの年式別生産台数 1951年 = 43,656台 1952年 = 35,921台 1953年 = 27,208台 1954年 = 24,833台 (最終年式ハドソンがナッシュ=ケルビネーターと合併する以前) 1952年-1956年 ハドソン・ワスプ(Hudson Wasp)はより低価格のステップダウンホーネットだった。
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