1951年-1954年とは? わかりやすく解説

1951年 - 1954年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 15:03 UTC 版)

ハドソン・ホーネット」の記事における「1951年 - 1954年」の解説

1951年ホーネットは、既にハドソン1948年コモドール採用したステップダウンデザイン踏襲して採用していた。 この構造は、ボディフレームを一体構造とした、一種のビルドインフレーム型のユニットコンストラクション方式で、フレーム上にフロアパンを載せるではなく、フレームレール間にフロアパンを埋め込んでいた。このためこのタイプ構造を持つハドソン乗車時には、一歩階段下りる(ステップダウン)ように乗りんだのが命名の由来である。 ステップダウンシャシーの低重心構造機能的かつスタイリッシュでもあった。ハンドリング向上しただけでなく、乗員6人が低い着座位置ゆとりのある贅沢な乗り心地味わえた。ボディには後輪ホイルアーチがなく、後輪ボディ外板覆われて、低く構えた外観強調していた。 ホーネットには2ドアクーペ4ドアセダンコンバーチブル、ハードトップクーペの仕様があった。価格はコモドールエイトと同程度で、US$2,543から$3,099だった。 ホーネットはすべてハドソン高圧縮ストレートシックス"H-145"エンジン搭載した。Lヘッド(サイドバルブフラットヘッドとも)デザイン排気量308 cu in (5.05 L)は当時乗用車用としては「世界最大排気量6気筒エンジン」だった。ビッグスリー代表される他のメーカーからより高回転向けのV型8気筒エンジン搭載新型車が次々と登場していた当時シャーシ性能優れていながらエンジン開発余力乏しさゆえに旧弊サイドバルブ6気筒大排気量に頼らねばならなかったのは、量産規模限られたハドソン弱みであった。それでも手持ちエンジン強化する最大限努力為された。 その当初は、ツーバレルキャブレターで3800rpm時トルク145 hp (108 kW)。 エンジン適切なチューニングをすればさらに出力上がった。マーシャ・ティーグはAAANASCAR検査合格したストックカー仕様ホーネット112 miles per hour (180.2 km/h)を得た主張した見せかけのレース部品"severe usage"オプション開発したハドソン技術者同様にコメントしている)。 ハドソンエンジンとホーネット走行性能組み合わせにさらにチューン施されダートばかりで舗装部分極端に少なかった1950年代レースでは、パワーと低重心シャーシ効果無敵強さ見せた1952年の"Twin-H"バージョンではデュアル・シングルバレル・キャブレター(dual single-barrel carburetors)をデュアルインテークマニホールド上に置き、170 hp (127 kW)と出力向上したボンネットには機能的なスクープ(scoop)で外気キャブレター送った。これは1954年時点では、ラムエア(Ram Air)以上のベンチレーション」である。ハドソンが後に提供した"7-X"モディフィケーション装備すればエンジン210 hp (157 kW)を出力した1952年から1953年にかけてホーネット小規模な化粧替え(minor cosmetic enhancements)を行なったが、まだ1948年コモドール面影強く残したままだった。 ストックカーレースホーネットはほぼ無敵だったが、「レースでの活躍にもかかわらず・・・販売下降始めた。」ハドソンライバル企業は、セミモノコック構造部分導入はあっても基本はボディオンフレームの独立シャーシだったため、高コストとなるシャーシ設計の変更をせずに、ボディのみの手直し毎年度小変更を加えた新年度モデル発表することができた。一方ホーネットは、モダン洗練されたユニボディ構造が却って制約となり、変更にはより多くコストかかったホーネット本質変わらないままだったが、ビッグスリー計画的陳腐化犠牲ならざるを得なかった。 最終的に1954年式では主流スクエア四角)にデザイン変更された。室内取り囲んでいたステップダウンフレームなどに大きな変更が必要で、工作機械ツール類の一新など生産コスト跳ね返ることになったフロントシンプルなグリルとなり、飾りでないフッドスクープ(hood scoop)が装備され曲面で一体形成されフロントガラス当時流行ったフェンダークローム飾りがボディサイドについた以前スロープ状のセミ・ファストバックだったリアエンドは、スクエアノッチバックになった室内では新しくなったダッシュボードとインストルメントクラスターは、かなり現代となったV8エンジンなくなり308 cu in (5.05 L) 6気筒シリーズ一番のホーネットでは160 hp (119 kW)を出力したレース用の170 hp (127 kW) "Twin-H-Power" (7-X)が工場オプションだった。 このデザイン見直しルックススタイルの点では満点だったが、販売増に貢献するには時期が遅すぎた。 改良された「ホーネット・ブルーアム」のコンバーチブル仕様は、ハドソン唯一のコンバーチブル仕様だった。魅力的だったが、価格1954年6気筒モデルUS$3,288高価だったホーネット年式生産台数 1951年 = 43,656台 1952年 = 35,921台 1953年 = 27,2081954年 = 24,833台 (最終年ハドソンナッシュ=ケルビネーター合併する以前) 1952年-1956年 ハドソン・ワスプ(Hudson Wasp)はより低価格のステップダウンホーネットだった。

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