壁画制作の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 15:18 UTC 版)
1950年12月 - 長谷川路可、聖年に際して渡伊。 1951年1月 - 金山政英駐バチカン代理公使に面会、《日本聖殉教者教会》の内装を依頼され、受諾. 1951年1月 - 《日本聖殉教者教会》壁画構想に取りかかる。 1951年5月 - 下絵完成。 1951年7月 - チヴィタヴェッキアのフランシスコ会修道院に寄宿はじめる。 1951年8月 - 壁画制作に着手。 1951年12月 - 後陣中央壁画面完了。 1954年2月 - 祭壇を囲む正面殉教図5画面と天井画完了し、信徒席周辺6箇所の小祭壇の壁画制作にとりかかる。 1954年10月 - コンスタンティーニ枢機卿、井上孝冶郎駐バチカン公使を迎えて、壁画完成の祝別式。チヴィタヴェッキア市名誉市民に列せられる。 1957年 - 下絵などを積載した英国船シロン号がスエズ運河で沈没したため、壁画資料は遺失。 1960年11月 - 伊太利チヴィタヴェッキア修道院に於ける日本二十六聖人殉教大壁画の完成により第8回菊池寛賞受賞。
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