1907年-1914年 ソレル主義とナショナリズムと左翼の精神の融合
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「ファシスト党#党史」も参照 政治的活動ではガブリエーレ・ダンヌンツィオ、思想では革命的サンディカリストのジョルジュ・ソレル、更には黄色社会主義を提唱したピエール・ビエトリーなどが、ファシズムの先駆と呼ばれている。 革命的サンディカリスム(イタリア語版)の哲学者ジョルジュ・ソレルは、ファシズムに大きな影響を与え、またソレルはロシア革命とファシズムをブルジョワ民主主義への挑戦と考えて支持した。ソレルは著作「暴力論」(1908年)で「暴力は道徳になりうる、特に社会に実質的で肯定的な変革をもたらす革命的暴力は」と主張した。ソレルは正統派マルクス主義から出てきた社会民主主義はその議会主義によりブルジョワ民主主義に屈すると批判し、改良主義的な修正主義ではない暴力的な革命的修正主義を主張した。まずソレルはブルジョワ階級の迅速な終焉と労働者階級の勝利のために、正統派マルクス主義の唯物論や合理主義は資本主義への抵抗にならない退廃に陥っていると非難し、代わりに観念や非合理的な神話の道徳的で情熱的なアピールに修正すべきと論じた。彼は、過度の合理主義はブルジョワの特質であり、労働者階級の心はより「原始的」であり更には神話も受容できる、と書いた。ソレルは、労働者階級が道徳的な変革をより受容しようとするという理由で、これを有益と考えた。「暴力論」はイタリアの革命的サンディカリストの間で非常に高い人気となった。ベニート・ムッソリーニもその1人で、彼は後にソレルから彼への影響について「私の師」「ファシズムの精神的指導者」「私自身はソレルに最も負っている」と発言した。 ファシズムの創造の鍵となった部分は、第一次世界大戦の勃発で固まった、政治的に右翼のナショナリストと、左翼のソレル主義のサンディカリストの諸政策の融合であった。ソレル主義のサンディカリズムは、他の左翼のイデオロギーとは異なり、労働者階級に対するエリート主義の視点を持ち、彼らの士気を向上させる必要があると信じ、積極的な社会変革をもたらすために自由民主主義は破壊される必要があると主張した。ソレル主義のサンディカリズムの社会戦争の積極的な本質の概念とその道徳的な革命への固執により、多くのサンディカリストは、戦争とは社会変革や道徳的革命の究極の政策表明であり、目的達成の手段と考えた。第一次世界大戦の前には、サンディカリスト達は圧倒的に階級の固有性に焦点を当て、階級闘争を支持し、他方では国家的な戦争を敵視した結果として、反軍国主義であった。イタリアのサンディカリスト達の多くは、革命的サンディカリスムは完全に反軍国主義であってはならないと信じ、平和主義を攻撃した。 1907年から、ナショナリストや軍国主義者の影響がサンディカリズムに結合し始め、政治的な左翼に分断が生まれた。この、ナショナリストとサンディカリストが相互に影響しながら増大するという精神は、イタリアで強かった。ソレルの視点と近いモーラス主義のナショナリズムは、急進的なイタリアのナショナリストのエンリコ・コラディーニ(英語版)に影響を与えた。コラディーニは、イタリアの問題を解決できるであろう闘う意思を通じた直接行動を確約する革命的サンディカリストにも共通する、エリートの貴族や反民主主義に率いられた、国家サンディカリスム運動の必要性のために発言した。コラディーニは、フランスやイギリスの「金権政治」と対決するために、イタリアは帝国主義を続ける必要のある「コロレタリア国家」であると述べた。コラディーニの視点は、イタリアの経済的な後進性はその政治的な階級や自由主義や「下劣な社会主義」によって発生させられた部分によって引き起こされた、と主張する右翼のイタリア・ナショナリスト協会(ANI)の幅広い見解の一部だった。ANIは、保守やカトリックや商売業界の中と結びつき影響を保っていた。イタリアの国家サンディカリストに共通した原則は、ブルジョワの利益や民主主義、自由主義、マルクス主義、国際主義、平和主義の否定であり、英雄主義や生気論や暴力の推進だった。 拡張主義や大イタリアの創立を支持し、イタリアを近代国家のリーダーとして「新人類」や「新国家」を創造する文化的な革命を行う事を主張するイタリアの急進的なナショナリズムは、イタリアのリビア征服期間中の1912年に増大しはじめ、イタリアの未来派やANIのメンバーによって支持された。ANIは、自由民主主義は現代の世界にはもはや適合せず、最も強いものが生き残れる世界で人間は本質的には略奪的であり国家は継続的な闘争状態にあると主張し、強い国家と帝国主義を提唱した。 1914年まで、1911年の伊土戦争に反対したサンディカリストなどナショナリストの影響が部分的に残っていたイタリアのナショナリストや革命的サンディカリストは、戦争を国家的な事柄ではなく財政的な利益の事柄と考えた。しかし第一次世界大戦の勃発では異なり、ナショナリストやサンディカリストは、戦争を国家的な事柄とみなした。
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