1907-09年、「ニムロド遠征」とは? わかりやすく解説

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1907-09年、「ニムロド遠征」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:02 UTC 版)

アーネスト・シャクルトン」の記事における「1907-09年、「ニムロド遠征」」の解説

詳細は「ニムロド遠征」を参照 1908年1月1日、「ニムロド号」はニュージーランドのリッテルトン港(英語版)から南極向けて出航したシャクルトン当初の計画は、マクマード湾にある「ディスカバリー遠征」の元基地使用し南極点南磁極目指すものであった。しかしイギリス出発前に、マクマード一帯自分縄張りであると主張するスコットから、そこに基地作らないという約束をするよう圧力かけられていた。シャクルトンはバリア・インレット(1902年ディスカバリー号立ち寄っていた)かエドワード7世半島冬営地を探すことに渋々同意した石炭温存するため、シャクルトンニュージーランド政府ユニオン汽船会社Union Steamship Company)に費用負担了解させた後、南極向けて1,650マイル (2,655 km)を蒸気船クーニャ号(Koonya)」に曳航させた。スコットとの約束に従ってロス棚氷東部向かい1908年1月21日到着した。バリア・インレットは大きな湾を形成するように広がっており、数百頭のクジラがいたことから、すぐにクジラ湾名付けられた。 そこの氷は崩れそうな状態であり、安全な基地設営するのは不可であった。さらにエドワード7世半島投錨地を探した同様に理だ判ったことから、シャクルトンスコットとの約束破りマクマード湾へ向かうことを余儀なくされた。この決断は、2等航海士のアーサー・ハーボード(Arthur Harbord)によれば、氷圧の困難さ石炭の不足、近くには他に既知基地がないことを踏まえた常識従った」ものであったニムロド号は1月29日マクマード湾到着したが、ハット・ポイント(英語版)にあるディスカバリー遠征の元基地から北16マイル (26 km)の地点で氷のため進めなくなった結局悪天候による遅れの後、シャクルトンはハット・ポイントの北約24マイル (39 km)にあるロイド岬(英語版)に基地作った困難な状況にあったが隊の士気高かったシャクルトンコミュニケーション能力が、隊を楽しくまとまった状態に保ち続けた。 フランク・ワイルド(英語版)が名付けた偉大な南への旅Great Southern Journey)」は、1908年10月29日開始された。1909年1月9日シャクルトンと3名の隊員ワイルド、エリック・マーシャル(英語版)、ジェイムソン・アダムズ(英語版))が南極点から112マイル (180 km)しか離れていない南緯88°23'に到達し最南到達記録更新した南極点へ向かう途中でパーティベアードモア氷河シャクルトンスポンサーから名付けた)を発見し南極点高地初めて見、踏破した最初の人となった。彼らのマクマード湾への帰路は、かなりの間、半分食糧しかなく餓死との競争になった。あるときシャクルトンその日割り当て1枚ビスケット病気のフランク・ワイルドへ与えたワイルド日記にこう書いた世界中の金を積んでも、そのビスケット換えることはできない。そして私はこの自己犠牲決し忘れない」。彼らは帰りの船に間に合うギリギリタイミングでハット・ポイントにたどり着いた遠征隊のその他の主な業績には、エレバス山への初登頂と、南磁極のほぼ正確な位置発見しエッジワース・デービッド(英語版)、ダグラス・モーソン、アリステア・マッケイ(英語版)が1909年1月16日到達したこともある。シャクルトンヒーローとしてイギリスへ帰国し間もなく探検の記録Heart of the Antarctic』を出版した。エミリー・シャクルトンは後にこう記している「南極点へたどり着かなかったことについて、彼は『生きているロバのほうが死んだライオンより良いじゃないか?』と言ったので『そうよ、私にとってはね』と答えたわ。」。 1910年に、シャクルトンエジソン蓄音機使って遠征について語った3本レコード制作した1909年残していったほとんど手つかずウイスキーブランデーの箱が、醸造会社の分析のため、2010年回収された。そして、その銘柄マッキンレー」の酒質再現したウイスキーが、売上一部を酒を発見したニュージーランド南極歴史遺産トラスト英語版)の活動役立てるために限定販売された。

※この「1907-09年、「ニムロド遠征」」の解説は、「アーネスト・シャクルトン」の解説の一部です。
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