鷹尾神社大宮司家文書とは? わかりやすく解説

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鷹尾神社大宮司家文書

主名称: 鷹尾神社大宮司家文書
指定番号 173
枝番 00
指定年月日 1999.06.07(平成11.06.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 341
時代区分 鎌倉江戸
年代
検索年代
解説文:  鷹尾神社は、福岡県山門郡大和町鷹尾にある旧県社で、中世には筑後国瀬高下庄鎮守同国一宮高良大社別宮であった本文書は、同社および大宮司職を世襲した鷹尾家に伝来したもので、承元年中一二〇七-一〇年)ころの後鳥羽院下文案以下、昭和に及ぶ計三四一通存する。うち一二一通中世文書で、そのほとんどが鎌倉時代さかのぼる。
 瀬高下庄は、大治六年(一一三一)に瀬高庄が上・下両庄に分かれて成立した庄園で、平安時代後期に、藤原道長曾孫俊忠より伝領した徳大寺左大臣家が、待賢門院寄進し、後にその御願寺である円勝寺となった鎌倉時代前期には、下庄鷹尾郷の地の開発進み鷹尾別符成立した考えられる鷹尾神社では、鎌倉時代初めに紀元真が大宮司職に補任されて以来紀氏鷹尾家)がこれを世襲した。近世に入ると、柳河藩立花家によって社殿修理が行われている。文政九年(一八二六)、立花家祖廟として創建された三柱神社神官命じられ鷹尾家は、後に三柱神社転居し戦前まで鷹尾神社社務兼帯した。
 こうした鷹尾神社歴史反映して文書中には庄園支配社務職関わる文書多くみられる。特に平安時代後期以来鷹尾神社祭礼造営に関する文書まとまっており、在地鎮守社における舞楽などの実態明らかになることが大きな特徴である。
 例えば、鷹尾神社祭礼関係文書案(A本)は、鎌倉時代後期案文ではあるが、当時祭礼どの様相を詳細に伝えた史料として貴重である。このうち建暦二年(一二一二十一月日付遷宮諸役次第注進状案は、神事芸能における地方田楽広まり示している。また遷宮寿舞歌覚は、今様伝播など中世歌謡史を考えるうえで興味深い。さらに鷹尾神社祭礼記録案は、瀬高庄の商人らと高良神人との乱闘で、獅子頭伎楽面打ち破られ事件など記している。
 弘長三年一二六三)九月六日鷹尾神社神輿神宝直法等注進状は、費用明細とともに神事物の規模伝えている。弘安から正応年間一二七八-九二年)にかけては、大宮司と宮別当多米氏が相論続けた際の訴陳状まとまっており、楽所人、舞人らの活動など知られ注目される
 近世・近代文書中には、(年未詳三月十六日神楽用具借用覚など、中世以来行われていた鷹尾神社祭礼関わる文書のほか、近世神社支配あり方考えるうえで重要な文書少なくないまた、すでに原本失われている中世文書の内容伝えた写本含まれている。
 本文書は、平安時代以来在地神社祭礼などが具体的に明らかになる神社文書として希有な例であり、中世神祇信仰芸能を知るうえで価値が高い。
重要文化財のほかの用語一覧
古文書:  鳥海山大物忌神社文書  鳥羽院庁下文  鶴岡八幡宮文書  鷹尾神社大宮司家文書  黄梅院文書
工芸品:  =(土塞)鉢  だ太鼓縁



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