院政の最盛と転換とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 院政の最盛と転換の意味・解説 

院政の最盛と転換

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 01:09 UTC 版)

院政」の記事における「院政の最盛と転換」の解説

白河上皇は、鳥羽天皇第一皇子崇徳天皇)を皇位につけた後に崩じ、鳥羽上皇院政布くこととなったが、鳥羽上皇崇徳天皇疎んじ第九皇子である近衛天皇(母、美福門院)へ皇位を継がせた(近衛天皇没後はその兄の後白河天皇(母、待賢門院)が継いだ)。そして、保元元年1156年)に鳥羽上皇が崩じた直後崇徳上皇後白河天皇の間で戦闘起こり後白河天皇勝利した保元の乱)。 後白河天皇保元3年1158年)に二条天皇譲位する院政開始した。しかし、皇統正嫡としての意識の強い二条天皇天皇親政指向しており、後白河院政派二条親政派の対立もたらされた。したがって二条天皇時代後白河院政は強固なものとはとうていいえなかった。しかし、病を得二条天皇永万元年1165年6月25日に幼い六条天皇譲位7月28日には崩じてしまった。ここで後白河院政には実質上の内容もたらされのである後白河院期には、平治の乱平氏政権隆盛およびその崩壊治承・寿永の乱勃発源頼朝鎌倉幕府成立など、武士一気台頭する時代となった。 ただ、後白河法皇平清盛とが対立し始めた後、治承3年1179年11月治承三年の政変によって鳥羽殿幽閉され後白河法皇院政停止されてしまった。ここで一旦高倉天皇親政成立するが、高倉天皇治承4年1180年2月安徳天皇譲位、ここに高倉院政が成立した高倉院政下では福原への「遷都」などが行われたが、もともと病弱であった高倉上皇福原病を得平安京還御した直後養和元年1181年1月14日に崩じてしまった。まもなく清盛世を去ったため、清盛の後継者であった平宗盛後白河院政を復活させた。 後白河院政の後は、その孫の後鳥羽上皇院政行った後鳥羽院は、皇復興企図して鎌倉幕府倒そうとしたが失敗承久の乱)、自身流罪となった上、皇低下朝廷執権北条氏介入招いてしまった。乱後後堀河天皇即位するとその父親である行助入道親王例外的に皇位経ずして院政を行う(後高倉院という事態も発生している。 院政承久の乱以降存続し公家政権中枢として機能した。特に乱以後初め本格的な院政布いた後嵯峨院期に院政制度整備されている。後嵯峨院は、奏事弁官蔵人による奏上)を取り次ぐ役職である伝奏制度化、そして院が評定衆とともに相論訴訟裁許に当たる院評定確立し院政機能強化努めた院評定当時の課題であった徳政興行のために訴訟裁許円滑化する役目担った後嵯峨院以後両統迭立期には、実際院政を行う治天の君天皇の父(あるいは祖父曾祖父)である必要性が特に強調されるうになる持明院統伏見天皇即位した際に実父である後深草院院政を行うものとされ、前天皇である大覚寺統後宇多院がこれに抗議したものの顧みられず、反対に後宇多院の子である後二条天皇即位した際には同時に天皇である後伏見院の代で院政行っていた伏見院院政停止され後宇多院院政開始されている。なお、この際伏見院皇子後伏見院の弟にあたる富仁親王(後の花園天皇)が立太子された際に後伏見院猶子とされた(『皇年代略記』・『神皇正統記』)。花園天皇即位後は当初伏見院院政行ったものの、正和2年1313年10月17日治天の君位が後伏見院譲られ(『一代要記』)、4年後に伏見院が崩じた時には花園天皇実父崩御にもかかわらず祖父の喪の形式を採った(『増鏡』)。これは本来は花園天皇の兄である後伏見院が同天皇治世における治天の資格を得るために、花園天皇猶子関係を結んだために本来は「父と子」の関係である伏見院花園天皇の関係も「祖父と孫」の関係に擬制されたことによる大覚寺統事例長慶院後亀山天皇)は不明であるものの、以後持明院統においては治天の君予定された者と皇位継承予定者が猶子関係を結び、治天の君天皇の間で親子関係擬制されるようになった光厳院光明天皇及び直仁親王廃太子)、後小松院後花園天皇)。 建武新政期に後醍醐天皇親政行い院政一時期中断したが、数年の後に北朝による院政復活した室町時代入ってからも院政継続したが、永享5年1433年)に後小松院崩御する院政事実上終焉迎えた。これ以降院政は度々執られたが、あくまで形式上存在でしかなくなっていった。実際次に上皇になった後花園院譲位後程なく応仁の乱巻き込まれ実質的な院政をほとんど行う期間も無く崩御した。その後財務上の理由などから、天皇の譲位自体不可能な状況が続くことになる。だが、院庁自体廃止され存続していたため、江戸時代入って院政残った

※この「院政の最盛と転換」の解説は、「院政」の解説の一部です。
「院政の最盛と転換」を含む「院政」の記事については、「院政」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「院政の最盛と転換」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「院政の最盛と転換」の関連用語

1
4% |||||

院政の最盛と転換のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



院政の最盛と転換のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの院政 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS