院政の院庁とは? わかりやすく解説

院政の院庁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 16:57 UTC 版)

院庁」の記事における「院政の院庁」の解説

平安時代前期ごろから、上皇院号呼称することが見られるようになったが、院と呼ばれた上皇所務雑務取り仕切るために、上皇直属官庁舎人雑色などがあてがわれていた。他の皇族や有力貴族同様に、これらの舎人らを中心として上皇家政機関構築されていた。上皇家政機関文書発給することもあったが、ほとんどが雑事係る案件であった。この家政機関院庁呼ばれていた。院庁の語の初見は、宇多院の時にさかのぼる。 平安時代後期に、上皇治天の君事実上君主)として君臨し政務にあたる院政開始すると、院庁は、治天政治意思表明具現化するための重要な政務機関へと変貌した治天政治意思は、院庁発給する院庁下文院庁牒院宣などによって実現されていった従来太政官左右弁官局外記局が、天皇詔勅太政官符発給する枢要機関として重要視されていたが、院政開始後は、院庁がそれらの機関に取って代わったのである院庁当初上皇家政機関のみを意味していたが、治天政務機関全般意味するようになった広義院庁)。 院庁には院司所属した院司は、実務能力高く受領実績積んだ中流貴族任命されていた。これにより、摂関家中心とする上流貴族政治的影響力低下することとなった。さらに、院司を含む中流貴族の中からは、治天側近となって権勢をふるう者も現れた。これを院の近臣という。院の近臣厳密に院庁構成員ではなかったが、政治意思決定参与していた点から見れば院の近臣広義院庁形成していたと言えるまた、院庁警備名目として、北面武士西面武士置かれたが、これにより治天は独自の軍事力保有することができた。 院庁は、白河院後鳥羽院院政最盛期経て室町時代前期院政実質を持たなくなるまで、朝廷中央政府)の重要な政務機関として機能し続けた

※この「院政の院庁」の解説は、「院庁」の解説の一部です。
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