院政期 - 鎌倉中期とは? わかりやすく解説

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院政期 - 鎌倉中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 17:35 UTC 版)

皇位継承」の記事における「院政期 - 鎌倉中期」の解説

上記のような皇統統一流れの中で後三条天皇即位した後三条天皇は、皇統統一をより強固なものとするため、生前直系男子譲位し上皇として政務に当たることを目論んでいた。後三条天皇その実現の前に没したが、その直系男子白河天皇後三条天皇遺志継いで上皇となって事実上君主治天の君)として政務に当たる院政開始した上皇事実上君主の座に就くことにより、天皇それまで皇太子立場となったと言えるが、厳密な皇位継承法存在しなかった当時においては皇統安定していれば天皇家当主天皇在位しているか否か程度違いでしかなかった。いずれにせよ皇統安定化院政主要な目的一つであった。なお、後三条天皇譲位に際して自分の例に倣って白河天皇異母弟にあたる実仁親王皇太子にしたことは白河天皇の不満を招いたその後実仁親王急死によって、皇位白河天皇実子堀河天皇譲位することが可能になったが、白河天皇は「第二実仁親王」の登場警戒して、自らが後継者指名した堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇の3天皇異母兄弟全て出家させて、皇位継承権を奪う政策を採った。皮肉にも白河天皇崩御後院政開始した鳥羽天皇は、白河天皇崩御後生まれた崇徳天皇異母弟である近衛天皇寵愛し出家をさせるどころか崇徳天皇退位させて自らの後継者指名したかくして鳥羽天皇後継巡って生じた崇徳天皇近衛天皇後白河天皇兄弟間による皇位継承紛争保元の乱・平治の乱という武力衝突により解決されることとなった最終勝利者後白河天皇であったが、両乱を通じて武士利用したため、その後武士の台頭を許すこととなった。 ところが、生前鳥羽天皇近衛天皇崩御後後継指名したのは、後白河天皇の子二条天皇であった。これによって後白河天皇二条天皇両者の間に緊張関係が生じたが、二条天皇崩御によって、後白河天皇が院=治天の君として君臨し続けた。なお、後白河天皇二条天皇父子対立した際に二条天皇後ろ盾になっていたのは、その准母となっていた鳥羽天皇皇女後白河天皇には異母妹にあたる)・八条であった八条院は父の鳥羽天皇から与えられ広大な所領背景天皇支えたが、後白河天皇もこれに対抗するために多く荘園所領とした。後に前者所領八条院領後者所領長講堂領称され、別々の皇族后妃によって継承されることになる。 治天の地位確保した後白河天皇平氏源氏など武士勢力勃興に対して王権維持図ろうとしたが、結局王権一部鎌倉幕府委譲することとなる。後白河天皇正当な後継者高倉天皇であり、その早世と後を継いだ安徳天皇外戚である平氏とともに西国下った後もこの方針が揺らぐことなく、治天である後白河天皇によって安徳天皇異母弟である後鳥羽天皇擁立された。このため一時的に2人天皇在位する事態となったものの、安徳天皇平氏滅亡運命をともにしたことにより皇統後鳥羽天皇系統統一された。これによって治天である後白河天皇の下で皇統安定した後白河天皇崩御後後鳥羽天皇院政開始した後鳥羽天皇鎌倉幕府移った東国統治権奪還するべく承久の乱起こしたが、王朝幕府破れという事態を招いた。この結果幕府によって後鳥羽院政と後鳥羽系統皇統全て廃されたが、皇位継承すべき者が不在という事態に至った当時皇位継承するにはその父が院でなければならないという慣例ができており、やむなく皇位就いたことのない守貞親王後高倉院として治天の地位に就いて院政開始しその子後堀河天皇として即位することとなった。しかし、後高倉院はすぐに崩御し新天皇の兄弟承久の乱以前全員出家していたために天皇万一事態生じた場合には皇統断絶可能性生じたその後後堀河天皇皇子四条天皇として即位したことで危機解消されたかに見えたが、後堀河上皇四条天皇以外の男子儲けことなく崩御続いて四条天皇幼年のうちに崩御したことから、後高倉院皇統はわずか21年断絶してしまう。このため皇位は再び後鳥羽天皇系統戻った。このとき皇位継承したのは、後嵯峨天皇である。後嵯峨天皇の父は、父の後鳥羽天皇疎んじられ承久の乱の際も中立守った土御門天皇であるが、このことが幕府賛意を得ることになり、事実上後嵯峨天皇皇位継承幕府決定したと言える(なお、後堀河天皇生母北白河院従兄一条能保源頼朝妹婿後嵯峨天皇叔父土御門定通北条義時娘婿、という鎌倉幕府関係者との縁戚関係幕府決定大きな影響与えたとみられる)。これは、後世先例となって江戸幕府に至るまで、皇位継承には幕府承認が必要とされた。

※この「院政期 - 鎌倉中期」の解説は、「皇位継承」の解説の一部です。
「院政期 - 鎌倉中期」を含む「皇位継承」の記事については、「皇位継承」の概要を参照ください。

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