院政期の成功とは? わかりやすく解説

院政期の成功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 03:10 UTC 版)

成功 (任官)」の記事における「院政期の成功」の解説

成功盛んになるのは、院政期入ってからである。11世紀末期以後展開され白河天皇親政から院政初期にかけて院御所御願寺造営が相次ぎ国宛による諸国負担だけで賄うことが出来なくなったまた、院近臣である受領白河天皇上皇)への私的奉仕引き換え受領功過定通過して重任遷任を受けることが出来るようになり、受領功過定で本来追及される筈であった済物未進などの中央対す義務的な進上内容結果的に不問とされるようになった(当然、済物規定通り納められなくなれば財政収入は不足をきたすことになる)。一方臨時進上にあたる臨時召物造営などの国宛充てる為に臨時雑役賦課し場合でも、国内における官省符荘呼ばれる荘園増加円滑な収納妨げていた。こうした事態の打開を図るために受領成功への財政依存強化を図ることになったそんな中で、康和元年1099年)、近江藤原隆宗勢多橋造営(『本朝世紀同年10月5日条)し、これが遷任功の最初の例とされている。こうした受領成功定着地下の「進納」(地下成功)にも影響与え小規模な造営についてはこれまでの費用進納に代わって実際造営命じられるようになり、11世紀末期には「成功」の名称が採用され手続受領成功同じよう成功申請成功宣旨費用進納または造営返抄覆勘申文提出闕官補任という手続が採られるようになっていった。もっとも、造営成功賄え訳ではない事に注意要する例えば、御願寺造営場合大規模な人夫動員特定の国の産物用い必要がある場合にはその要件該当するに対して国宛を行う必要が生じたし、発願者(願主)である天皇上皇女院が自ら造営のための財物寄進を行わなければ発願の意味なくなってしまうからである。そのため、別途目的によっては国宛諸国課したり、願主指揮下にある機関物資調達・製作を行ったり、願主荘園から材料を運ばせて受領支給したりすることも行われていた。

※この「院政期の成功」の解説は、「成功 (任官)」の解説の一部です。
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