院政の院司とは? わかりやすく解説

院政の院司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:24 UTC 版)

院司」の記事における「院政の院司」の解説

院司は、嵯峨上皇835年承和2年)、院別当安倍安仁とあるのが初見である。当初院庁上皇家政機関として設置され所務雑務主要な用務であった長官別当べっとう)、次官判官代ほうがんだい)、主典主典代さかんだい)といった。 1086年応徳3年前後白河上皇院政開始すると、院庁構成する院司役割は非常に重要なものとなった院司は、治天の君皇室家長)の命を受け、院庁下文院庁牒院宣発給し、治天の政治意思具現化するため、実務遂行していった。そのため、院司には、蔵人弁官受領などを歴任した実務官僚充てられることが多かった。彼らは、摂関家のような上級貴族ではなかったが、実務能力をもって登用され政治大きな影響及ぼした院司や他の中流貴族中には、治天の側近となり、権勢をふるう者も現れ、これを院近臣という。院司や院の近臣は、治天の権力背景として、様々な利益得ていたが、例え知行国給与されこともしばしば見られた。保元の乱以降平清盛急速な台頭も、後白河上皇院司だったことが、主な理由一つである。 白河後鳥羽までの院政最盛期経過した後も、政務遂行担い手として院司重要な役目果たし広橋兼仲のように後深草院亀山院院司兼ね、更に女院である室町院摂関家である近衛家鷹司家家司兼ねる者もいた。実質的に院政消滅する室町時代前期まで(一部の期間を除いて)、院司政治枢要を担う重要な役割果たしていった

※この「院政の院司」の解説は、「院司」の解説の一部です。
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