関ヶ原と西国の太守とは? わかりやすく解説

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関ヶ原と西国の太守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:40 UTC 版)

池田輝政」の記事における「関ヶ原と西国の太守」の解説

慶長3年1598年8月秀吉没する家康接近したまた、福島正則加藤清正武断派諸将と共に行動し文治派石田三成らと対立した慶長4年1599年)閏3月3日武断派文治派仲裁をしていた前田利家死去すると、七将の一人として福島正則加藤清正加藤嘉明浅野幸長黒田長政と共に石田三成襲撃事件起こした慶長5年1600年)、関ヶ原の戦いでは、前哨戦となった織田秀信の守る岐阜城攻略参加しており、岐阜周辺から西美一帯寺院には、八月日付で輝政が出した禁制多数残されている。禁制大量発給し広域的に人々の安全を保証することで占領支配円滑化を図っており、地域社会一斉にそれになびいた様子窺える岐阜城の戦い)。本戦では毛利秀元吉川広家南宮山西軍抑え務めており、直接戦闘はなかった。 慶長6年1601年2月8日徳川秀忠が輝政邸を訪れたが、これは関ヶ原以後初めての外様大名屋敷への御成であったとされる『落穂集』)。 戦後岐阜城攻略功績から播磨姫路52万石加増移封され、初代姫路藩となった。ここに輝政は国持大名としての政治的地位獲得したのであり、その知行方は当時でも八番目に高いものであった12月には従四位下・右近衛権少将叙任された。関ヶ原合戦以後における徳川氏一門以外の大名における少将上の任官は、前年3月における福島正則次いでのものであり、初期徳川政権における両者政治的役割の高さを示すものである慶長6年1601年)から慶長14年1609年)にかけて、姫路城大規模に改修する慶長11年1606年以降姫路城同時進行加古川流域改修始め加古川の上流の田高川河川開発事業下流域高砂の都市開発事業行ったまた、諸大名と共に慶長11年1606年)の江戸城普請、同14年1609年)の篠山城普請、翌15年1610年)の名古屋城普請など、天下普請にも従事し篠山城普請では総普請奉行務めた慶長14年1609年)、火災焼失した伊勢神宮摩尼殿を再建している。 慶長16年1611年3月二条城における家康豊臣秀頼との会見同席した慶長17年1612年)、正三位参議、および松平姓許され松平播磨宰相」と称された。徳川政権下において、徳川一門以外の大名参議任官されたのは輝政が最初である。また、五男・忠継の備前岡山藩28万石、六男・忠雄淡路洲本藩6万石、弟・長吉因幡鳥取藩6万石合せ一族で計92万石一説検地して100万石)もの大領有した徳川家との縁組家格大い引き上げ明治維新に至るまで池田家繁栄する基盤となった慶長17年1612年1月、輝政は中風にかかり、3月には徳川秀忠から息子の利隆に4通もの書状送られている。8月には回復し駿府江戸訪れた23日秀忠拝謁した松平氏賜り参議奏請された。参議任じられたことを謝するため、10月17日参内しその後播磨へと帰国した慶長18年1613年1月25日、輝政は姫路にて死去した死因中風(『駿府記』)。享年50。なお輝政が中風患った本多正純から事情聴いた家康は、中風として烏犀円遣わしている。豊臣秀頼重臣らが輝政の死を聞いて愕然として「輝政は大坂の押へなり。輝政世にあらん限りは、関東より気遣ひなく、秀頼公の御身の上事成るべし。輝政卒去の上大坂急に亡さるべし」(『埋礼』)と語ったという逸話がある。 家督長男嫡男)の利隆が継いだ

※この「関ヶ原と西国の太守」の解説は、「池田輝政」の解説の一部です。
「関ヶ原と西国の太守」を含む「池田輝政」の記事については、「池田輝政」の概要を参照ください。

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