徳川一門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:31 UTC 版)
徳川家康(とくがわ いえやす) (竹千代 → 松平元信 → 松平元康 → 松平家康 → 徳川家康) 演:阿部サダヲ 今川家の人質。三河国の旧領主である松平家当主。幼名は竹千代(たけちよ)。元服して松平元信(まつだいら もとのぶ)、元康(もとやす)、家康と名を改め、のちに徳川に改姓して徳川家康となる。官途名は蔵人佐(くろうどのすけ)、後に三河守。位階は従五位下。囲碁を好み、平時だけでなく戦時でも考えを巡らせる時は碁盤を前に1人で黒白の碁石それぞれを打ち合いながら行う癖がある。 妻に対しては強い態度に出られないが、夫婦仲はまずまず良く、瀬名の言葉で発奮したり、今川と手切れになった後でも瀬名にだけ弱気を見せたり愚痴をこぼしたりできるほどには心を開いている。 義元の尾張侵攻では今川勢の先陣の将として、松平家の軍勢を率いて参戦していたが、尾張の大高城にて義元が敗死したと伝えられると、大高城を出て、今川代官が退避したあとの岡崎城へ入城する。以降は織田勢の侵攻を食い止めるとの口実の陰で三河で勢力を伸ばし、織田との和睦し独立を目指す。 独立後は一向一揆などとの戦いを経て、勢力圏を遠江との国境付近を含めた三河全域に伸ばす。 駿府に滞在していた頃は、人質ながらも今川家の面々と親交を持ち、薫育を受けるなど「世話になっていた」身であったことから、独立後には寿桂尼や氏真からは「恩知らず」と憎悪されている。 武田と今川の戦の際には武田と与し、直虎の徳川への内応も了承する。しかし戦が始まると井伊谷三人衆の罠にはまった井伊家と政次に対し、謀略と見抜きながらも戦況によって見捨てざるを得ず、悩みながらも井伊家を潰してしまう。その申し訳無さもあって、数年後、松下家の者となっていた虎松の城への出仕を認め、さらに虎松の望みであった井伊家再興の許しとして「井伊万千代」の名を与え、草履番としての出仕を命じる。 信長から、信康に武田との内通の疑惑をかけられると、策をもって、信康の助命を画策した。その際信康を救うため罪を被って瀬名が出奔してしまったため、止む無く追手を差し向けながら、陰では万千代に彼女を井伊谷で匿うよう命ずる。しかし瀬名があえて罪を被って処刑されても信長は収まらず信康は自刃してしまったため、悲嘆に暮れて荒れるが、万千代の叱咤により正気に戻る。 瀬名(せな) 演:菜々緒(少女期:丹羽せいら) 佐名の娘。家康の正室。次郎法師の友。 おとわが駿府に人質として滞在した間に仲良くなり、おとわを「あね様」と呼んで井伊谷に帰ってからも手紙のやりとりをし、今川家の事情を知らせたり時には頼みを聞いたりしている。 子供の頃は今川家当主の正室の座を狙い、龍王丸(のちの氏真)に蹴鞠で勝って夫婦約束を勝ちとっていた。しかし龍王丸は北条家の姫と政略結婚してしまったため、今川家中で行き遅れの身を囲う羽目となっていたが、今川家の松平家との結びつきの強化策として、個人としても見知った仲であった元信(のちの家康)に不承不承ながらも嫁いだ。しかし、夫婦仲は悪くなく、竹千代と亀姫(演 - 幼年期:尻引結馨)の一男一女に恵まれている。 夫が今川に反旗を翻したため、母子ともども処刑されかけるが、人質交換によって救出される。母との今生の別れの際に「今川を手に入れる」ように言い残される。しかし三河では、今川家の支配に反感を抱いていた松平家の家臣たちから、婚姻が今川家の意向であることを理由に白眼視され、岡崎城に入ることも許されぬまま竹千代と共に近郊の寺に預けられるという扱いを受けることになり、直親離反疑惑で松平の助勢を引き出すために井伊の人質になって欲しいとの次郎の懇願も、人質としての価値のある立場におらず見捨てられる恐れもあることから拒絶する。しかし、その後も家康には「井伊のことをお忘れなきよう」にと頼んでいる。 24回にて竹千代と徳姫の婚姻に際し、嫡男生母としてようやく岡崎城に入る。 その後、浜松城において長丸が誕生すると、信康が嫡男を得るために徳川家に下った元武田家臣の娘を側室に取らせたことを信長に利用され信康に謀反の疑いがかけられると、罪を被ろうと武田との密通を示す偽書を残し石川数正と共に出奔してしまう。道中での直虎や万千代の制止にあっても覚悟は翻らず、家康の放った追っ手により斬殺され、その首は家康によって信長に届けられる。 徳川信康(とくがわ のぶやす) (竹千代 → 徳川信康) 演:平埜生成(幼年期:吉田大輝 → 吉田海斗 → 山田羽久利 / 少年期:小美野来希) 家康の嫡男。幼名は父と同じく竹千代(たけちよ)。今川から人質交換で救い出されたあとは、今川を憎む松平家中の意志により母と共に寺に預けられるという扱いを受けている。 24回にて織田信長の娘である徳姫(とくひめ)と結婚し、39回の頃には勢力拡大で浜松城に移った家康に代わり岡崎城主となっている。 その後、浜松城の家康に長丸が誕生すると瀬名の薦めにより側室を取る。しかしその直後、信長からの官位を授ける話を辞退すると、信長によって武田との内通の疑いをかけられ、家康に幽閉される。瀬名や家康の奔走にも関わらず信長の気は変わらず、自刃させられる。 於大の方(おだいのかた) 演:栗原小巻 家康の母。 信長に信康の首を要求された際には、自室に籠り考える家康に武家の習いを説き、信康の首を差し出すよう説得する。
※この「徳川一門」の解説は、「おんな城主 直虎」の解説の一部です。
「徳川一門」を含む「おんな城主 直虎」の記事については、「おんな城主 直虎」の概要を参照ください。
- 徳川一門のページへのリンク