保科から松平への改姓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:13 UTC 版)
正之の没後、藩主の座は子の正経、そしてその弟の正容が継いだ。正容の時代に姓を松平に改めて葵紋の使用も許され、名実共に徳川一門としての会津松平家が誕生した。この時、歴代藩主の通字も保科家の「正」から「容」に改められることになった。家格は親藩・御家門で、家紋は会津葵を用いた。旗印は漢字1文字で「會」である。
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