関ヶ原の合戦以後
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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には会津への出陣に従い、西上中に家康の命で三河国岡崎城(田中吉政の居城)の守備にあたった。戦後は尾張国犬山城の城番を務め、また家康の命で美濃金山城の在番にもあたった。この際、金山領の1万5000石を加増される(計2万5000石。金山藩の立藩と捉える見方もある)。 慶長6年(1601年)2月、加増を受けて5万石の大名として遠江浜松藩に移封された。この加増については「家広の遺領を継いだ」とする説もある。 浜松の領主としての治績は特に伝わっていない。慶長12年(1607年)、徳川家康の隠居城であった駿府城が火災にあった後の普請に参加している。
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