連続主義
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「チャールズ・サンダース・パース」の記事における「連続主義」の解説
「連続主義」(synechism) は、パースがギリシア語のσυνεχής(シュネケース:「連続的」)から案出した造語である。彼自身の説明によれば、連続主義は何らかの絶対的な形而上学的教説というよりは、我々がいかなる仮説を編み出し、検討すべきかを規定する、論理学の規範原理である。平たく言えば、連続主義はあらゆる物事に連続性を見出していこう、という考え方である。 ここで「連続性」という概念をどう理解するかが問題であるが、パース自身、生涯を通して数学における連続性概念について思索を深めていった経緯があり、一つの固定的な捉え方があるわけではない。ただ、1895年以降、彼の思考が成熟していくにつれて、一つの明確なモチーフが浮かび上がってくる。それは、「真の連続体」(true continuum) は、いくら無限に要素があろうと、単なる集合に還元することはできない、という発想である。ゲオルク・カントールは、1874年の論文で連続体を実数全体の集合と同一視したが、パースはこれを「疑似連続体」(pseudo-continuum) と呼んで斥けている。彼によれば、真の連続体は、集合の濃度によって決まるのではなく、要素同士の繋がり方によって決まる。そして真の連続体に特徴的な要素の繋がり方は、「直接的連結」(immediate connection) だと彼は言う。二つの要素、AとBが、ある意味において同一であるとき、AとBは直接的連結の関係にあると定義する。しかし、この「ある意味において」が問題である。 ケンブリッジ連続講義の第3講義「関係項の論理学」に、この問題を解いてくれそうな例がある。連続的な線に点を書いたとする。次にその点の箇所で線を切断し、左側の領域Lと右側の領域Rを作る。そうすると元の点は二つの点になる。一つはLの右端に、もう一つはRの左端にできる。ここで再度二つの端をくっつけると、二つの点はまた一つに戻る。 この思考実験が示しているのは、二つの要素、AとBは、同一でありながら潜在的に異なることが可能だということである。もし外部から不連続性が課されると、AとBの違いが顕わになるような順序性が存在していると言える。しかし不連続性が導入される以前は、AとBは異なるとは言えない。これがパースにとって、真の連続体の最も重要な特徴である。すなわち、それは個体的要素の集まりではなく、むしろ個体を書き込むことのできる存在者なのである。連続体の要素間で関係が成り立つのでは決してなく、連続体そのものが関係の構造だというわけである。個体性は、あくまで外部的な確定の結果生まれるのであって、切断前においてAとBが同一であるか異なるかという問いは厳密には意味を成さない。「他性 (otherness) や同一性(identity)の適切な定義は個体の世界を前提とする。個体から構成されていないような世界、すなわちあらゆる部分が同種の部分から成るような世界においては、個体が認められる限りにおいてのみ他性や同一性は成り立つ」。 以上、パースの数学的連続性の概念を見てきたが、この概念が、数学外の世界でいかなる意味を持つのかと疑問に思われるかもしれない。ここで重要なのは、パースが「一般概念」を真の連続体と同一視するということである。「関係項の論理学に照らせば、一般者 (general) は正確に連続体であることが分かる。したがって、連続性の実在性を主張する教説は、スコラ哲学者たちが実念論 (realism) と呼んだ教説と同じである」。真の連続体が、可能な要素の空間であるのと同様に、一般概念は、可能な具体的事例の空間を指定する。さて、連続体の一つの性質に、どの二つの要素を取っても、その間の要素が必ず存在する、という性質がある(これを「稠密性」と呼ぶ)。一般概念の場合も同様に、どの二つの具体的事例を取っても、その間の性質を持つような事例を考えることができる。例えば「猫」という概念の場合、「黒い猫」と「茶色の猫」の間の性質を持つ「黒茶色の猫」を考えることができる。重要なのは、どれだけ多くの個体を集めても、決して一般概念を尽くすことはできないという点である。真の連続体が点の集合に還元できないのと同様に、一般概念もその個々の体現事例に還元することはできないのである(実念論)。 もちろん、二つの具体的事例の中間の性質を持つような事例が、現実に存在するとは限らない。例えば「猫」と「犬」は一見したところ、全くかけ離れている。しかし、それらが互いに完全に切り離された概念だと考えると、我々の知識はそこで止まってしまう。「猫」と「犬」との間には確かに不連続性があるが、その不連続性は絶対的ではなく、より高次の連続性に対して相対的であると考えるべきである。かくして、その二つの概念を包括する高次の類概念として「哺乳類」という概念が編み出され、我々の切り離された知識も統合される。これがすなわち連続主義の持つ規範性である。つまり連続主義は、一見全く性質の異なる二つのものがあったとしても、それらが互いに切断されていると考えるのではなく、何らかの隠れた関係が存在するという前提で探究せよ、と命じる発見法的仮説である。 パースが挙げる例に睡眠と覚醒というのがある。我々は普通、起きている状態と寝ている状態は全く異なる状態だと考えがちであるが、実際は、我々が寝ているときも、我々が思っているほど寝ているわけではなく、また我々が起きているときも、我々が思っているほど起きているわけではない、と彼は言う。「我」と「汝」の違いについても同様である。連続主義者は、「私は完全に私であり、あなたではない」と言ってはいけない。また生と死も連続的であり、あくまで程度の差だと彼は述べている。 これらの例からも分かるように、連続主義はあらゆるものの本質的同一性を説く考え方であるが、これは、先に述べた真の連続体の特徴とも関わっている。不連続性が課される以前は、個々の要素の同一性について云々することが不可能であったのと同様に、一般概念においても、個々の具体的事例は、現実化以前は全体の構造の中でいわば「融け合って」いるのである。また、科学的探究とは、個々の具体的な事物や出来事を理解可能にしていく過程であるが、何かを理解するとは、それを一般概念の特殊なケースにすることであるから、科学とは、個々の具体的事例を一般概念に包摂していくプロセスと捉えることができる。そして一般概念=連続体だとすれば、科学的探究とは、個々の具体的事例を連続体に包摂していくプロセスということになる。これがパースにとっての「最高善」(summum bonum) である。宇宙進化の究極の目標は、あらゆるものが、一つの完全な連続体として結晶化することである。我々人間は、その宇宙進化の極小な一部を担っていると彼は考えていたわけである。
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