自由民主党復党後
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2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、自らは東京ブロック比例単独候補として出馬し、東京2区で深谷を支援した(鳩山は当選したが、深谷は通商産業大臣在任中でありながら比例復活が出来ず、落選)。2002年(平成14年)に衆院議院運営委員長に就任した。 2003年(平成15年)10月、衆議院永年在職議員の表彰を受ける。 2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では突然「あのような人物を一国の総理にするわけにはいかない」と、民主党代表の菅直人の選出選挙区である東京18区に国替えし、出馬。小選挙区では落選したが比例東京ブロックで復活当選した。 2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙から、母方の祖父・石橋正二郎(ブリヂストン創業者)の出身地である久留米市を主要地盤とする福岡6区へ国替えし、古賀一成を破って当選した。(古賀は比例復活) 2006年(平成18年)9月の自由民主党総裁選挙への立候補に向け活動していたが、推薦人を集められず立候補を断念。麻生太郎を支持した。 2007年(平成19年)の安倍改造内閣で法務大臣に就任するが、安倍晋三首相は間もなく病気辞任する(鳩山自身は13年ぶりの入閣)。2007年自由民主党総裁選挙では麻生太郎自由民主党幹事長の推薦人代表を務めた。福田康夫内閣でも法務大臣に再任された。法務副大臣は河井克行が務めていた。 2008年(平成20年)5月、津島派の役員人事で、会長代理から改編された会長代行に就任。同年9月に発足した麻生内閣では総務大臣兼内閣府特命担当大臣(地方分権改革)に就任したが、翌2009年(平成21年)6月12日日本郵政西川善文社長の進退問題を受け、辞任(事実上の更迭)。
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自由民主党復党後
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1998年12月から無派閥を通してきたが、かねてから親交のあった麻生太郎が為公会を旗揚げした際、結成に参加し、以後は麻生派に所属。自民党復党後、徳島2区の候補者選定をめぐり山口、比例復活した七条の2人で公認候補の座を争っていたが、2008年2月に自民党選対委員長の古賀誠が七条の処遇を後回しした上で、山口を徳島2区の自民党公認候補に内定した[要出典]。 2008年9月、麻生内閣で内閣総理大臣補佐官(地方再生担当)に起用された。2009年の第45回衆議院議員総選挙では徳島2区から出馬し、前回は比例復活で当選した民主党の高井美穂に敗れるも、比例四国ブロックで復活した。 2012年自由民主党総裁選挙では、麻生派所属ながら石破茂を支持したが、石破は麻生が支持する安倍晋三元首相に敗れた。安倍総裁の下で幹事長に就任した石破の推挙により、選挙対策局長代理に起用される。同年の第46回衆議院議員総選挙では、徳島2区で民主党の高井に比例復活すら許さず、8選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で財務副大臣に任命される(2013年9月に退任)。 2014年9月、第2次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・科学技術政策・宇宙政策)に任命され、当選8回で初入閣した。併せて「情報通信技術(IT)による産業・社会構造の変革を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」「再チャレンジ可能な社会を構築するための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」「日本が誇る文化の国際展開を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣に任命された。同年の第47回衆議院議員総選挙では、徳島2区で9選。2014年12月、第3次安倍内閣の発足に伴い、新たに内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)の補職辞令を受けた。2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣の発足に伴い、内閣府特命担当大臣を退任した。2015年10月11日、自民党徳島県連会長に就任。 2017年の第48回衆議院議員総選挙では徳島2区で10選。 2021年、徳島1区の自民現職である後藤田正純と山口が会長を務める県連所属の県議らが対立。5月には県連が後藤田の非公認を党本部に申し入れ、徳島県知事の飯泉嘉門に一時立候補要請するも、逆に後藤田と連携して三木亨参議院議員が知事選出馬に意欲を見せると一転して飯泉に対して衆院選に立候補せず知事に留まるように求めるなど、混乱が続いた。山口は一連の混乱の「責任を取りたい」として衆院選に先立つ10月の緊急常任総務会で辞任を表明し受理された。後任の県連会長には杉本直樹県議が就いた。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で11選。第206回国会(特別国会)にて衆議院議院運営委員会委員長に選任。
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