考古分野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/28 19:57 UTC 版)
「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」の記事における「考古分野」の解説
常設展示室の入って右側は、原始・古代の展示コーナーとなっている。 ふじみ野市立大井郷土資料館と異なるのは、縄文時代中期の展示があまり多くない反面、鷺森遺跡の諸磯式期(縄文前期後半)の遺物、埼玉県指定史跡の権現山古墳群出土の土師器をはじめ、古墳時代と奈良・平安時代の展示が充実していることである。 旧石器時代展示の最初には、関東ローム層の実物大の写真パネルとなっており、地表面から旧石器が出土する実際の深さが表現されている。ふじみ野市の北端部の川崎遺跡で採集された2万7千年前のナイフ形石器、黒曜石の石核(コア)、剥片や石器製作技法が展示されている。 旧石器時代の展示の隣は、縄文時代の展示となるが、その最初には、上福岡地域の遺跡出土の縄文時代の打製石斧や鷺森遺跡出土の玦状耳飾などが展示されている。打製石斧は、根菜類採取のために用いられたと考えられている。 続いて、現在の市立さぎの森小学校(旧上福岡市立第七小学校)建設にともなって、調査が行われた縄文前期後半の諸磯式期の鷺森遺跡出土の土器が展示されている。諸磯式の特徴である竹管文や爪型文が施された典型的な土器である。竹管文や爪型文は、植物の茎を半裁したものを施文具としたものである。展示の背面にあるパネルは鷺森遺跡の住居跡の内部を想像して描いたものである。 続いて市北部のハケ遺跡出土の縄文中期後半(加曾利E式)の縄文土器が展示されている。EII式の口縁部から器の上半分に連弧文とよばれる半円形の文様を施すタイプのもの、大木式の影響をうけた口縁部文様帯が退化して消失した胴部の縦方向の文様だけが残ったEIII式~EIV式の土器が展示されている。ここでは、ふじみ野市指定有形文化財の注口土器が見どころである。また縄文後期については、川崎遺跡の柄鏡型住居跡出土の称名寺式土器やハケ遺跡出土の土偶も展示されている。 ふじみ野市内では、弥生時代は終末期に川崎遺跡に住居跡、伊佐島遺跡で環濠集落が確認されているが、いまのところ展示パネルのみで紹介されている。 3世紀後半の古墳時代初頭になると市内の滝地区に権現山古墳群が造られる。権現山古墳群は、盟主墳とされる2号墳が初期古墳に特徴的な前方部がばち型を呈する前方後方墳であり、底部を意図的にかち割り、頚部に弥生時代の土器にみられるようなボタン状の貼り付け装飾のみられる古い形状の底部穿孔壺形土器と焼成前にあらかじめ底部に孔を作った底部穿孔土器、小型高坏、有段高坏などの初期古墳によくみられる器種構成の土器が出土している。これらの土器はもともと被葬者を送る葬送儀礼で飲食が行われ、その際に置かれたものと考えられているが、飲食儀礼が実際に行われたのか、単純に儀礼を象徴するために置かれたのかは不明である。7号墳の壺棺土器とともに埼玉県指定文化財(「権現山古墳群」の附指定)になっている。また権現山古墳群が見下ろす集落であった滝遺跡から出土した東海地方の影響を色濃く受けたS字状口縁台付甕が展示されており、小型高坏、有段高坏などの器種構成を含めて東海地方からの影響をうかがわせる貴重な資料である。 5世紀の古墳時代中期には、権現山北古墳群が営まれたが、ふじみ野市指定有形文化財のはそう型須恵器が展示されている。はそうとは、壺形の肩部分に円形の孔をあけ、おそらくストロー状のものを差し込んで儀礼で酒をすすりあったものであると考えられている。須恵器の産地はわかっていない。また、権現山北古墳群では、入間地区、比企地区を含めて最古に属する円筒埴輪の破片が検出されており、埼玉県内の埴輪の変遷を知る上で貴重な資料となっている。 古墳時代後半の上福岡地域では、滝、川崎地区などで住居跡が確認されており、それらの住居跡から出土したかまどを使用して煮炊きに用いられた土師器甕が展示されている。奈良・平安時代には、ハケ遺跡や松山遺跡の集落跡が現れるが、古墳時代に使われた土師器坏が消失し、須恵器の坏が使われるようになることがうかがわれる。ハケ遺跡では、地方役人がつけていたと思われる銙帯(役人の身分を示すベルトのバックル)が出土している。また生業を示す用具として、糸を紡ぐのに用いられた紡錘車や漁労の網につけられたと思われる土錘が展示されている。また、市内では、奈良・平安時代に仏教にかかわる儀礼が深く集落にまで浸透してきたことを示すと思われる鉄鉢型須恵器や緑釉陶器、灰釉瓶子などが出土しており、これらも展示されている。川崎遺跡で発見された緑釉陶器の内面には花文が施され、平成3年の発見当時は埼玉県内で3例目で、集落から出土したものであることからも貴重な例といえる。 原始・古代の展示コーナーの向かいには中世・近世の展示コーナーがあり、鎌倉時代からの板碑が露出展示されている。その隣には、長宮遺跡や川崎遺跡から出土した中世及び近世の考古遺物を展示しているガラスケースがあり、福建省の龍泉窯で焼かれた鎬連弁文青磁碗の破片、日本国内産の天目茶碗、古瀬戸段階に瀬戸産卸皿など中世の遺物や、近世初頭の瀬戸産擂鉢の完形品と縁釉皿、黄瀬戸皿、唐津焼の最古に属する銅緑釉碗が展示されている。また市内から出土した開元通宝をはじめ、北宋銭、洪武通宝、永楽通宝の主なものを展示している。
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