りゅうせん‐よう〔‐エウ〕【竜泉窯】
龍泉窯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
元時代には、景徳鎮の青花が発達した一方で、宋時代以前に栄えた白磁の定窯、青磁の耀州窯などは振るわなくなり、姿を消している。そうした中で、伝統的に青磁の産地であった浙江省では、宋代に引き続き龍泉窯の青磁は活況で、海外にも多くの製品を輸出していた。そのことを如実に示すのが、1975年に韓国全羅南道新安郡沖で発見された沈没船(新安沈船)の積荷の貿易陶磁である。この船は積荷の中に至治3年(1323年)の年号や「東福寺」の文字を記した木簡があり、その頃に中国の寧波の港を出て、日本へ向かう途中で沈没したことがわかる。積荷の陶磁は龍泉窯青磁がもっとも多く、建窯や吉州窯の天目、江南産の白磁、青白磁なども含まれていたが、青花は含まれていなかった。南宋時代の龍泉窯青磁は、白胎に失透性の青磁釉が厚く掛かった、日本で砧青磁と称される作品群に代表される。砧青磁の釉色は青系で、刻花(彫文様)や貼花(貼り付け文様)はほとんどないのに対して、元時代には釉が緑系に発色し、器表に刻花や貼花の装飾を施した壺、鉢などの青磁器が作られた。この手の作品は日本に多く舶載され、日本では天龍寺青磁と称されている。天龍寺青磁の名称は、天龍寺船で運ばれたからとも、京都の天龍寺にあった青磁の牡丹文貼付の香炉に由来するともいわれる。元時代の作品としては、このほかに、青磁の釉下に黒の鉄斑文を散らした、日本で「飛青磁」と称される手の作品がある。かつては、龍泉窯の青磁は、砧青磁から天龍寺青磁へ移行したと説かれていたが、砧青磁と天龍寺青磁は併行して製作されていたことがわかっており、前述の新安沖の沈船からも砧青磁が見出されている。 釉裏紅菊唐草文玉壺春瓶 青花蓮池水禽文盤 青花瓜竹葡萄文盤 元 上海博物館 青花魚文稜花盤 大英博物館 青磁鎬文有蓋壺 龍泉窯 元
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