龍泉寺城とは? わかりやすく解説

嶽山城

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 10:04 UTC 版)

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嶽山城
大阪府
別名 龍泉寺城、東条城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 楠木正成
築城年 鎌倉時代末期
主な城主 楠木氏畠山氏
廃城年 永正5年(1508年
遺構 なし
指定文化財 国の史跡
再建造物 なし
位置 北緯34度27分56.9秒 東経135度35分43.6秒 / 北緯34.465806度 東経135.595444度 / 34.465806; 135.595444
地図
嶽山城
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嶽山城(だけやまじょう)は、大阪府富田林市彼方の嶽山山頂にあった日本の城。中腹に龍泉寺があることから龍泉寺城とも呼ばれる。元弘2年(1332年)に楠木正成築城した。楠木七城の一つ。

概要

上赤坂城下赤坂城千早城の正面入口にあたり、峰続きの南西には金胎寺城が、更に南西には烏帽子形城があった。現在は城のあった辺りにかんぽの宿富田林がある。

城跡の比定地では、かんぽの宿の建設に伴い、1983年度に発掘調査が実施されたが、城の遺構と同時期の遺物は見つかっていない。かんぽの宿の西側にも城域が広がっていた可能性があるが、調査が行われておらず詳細は不明である。北側には千畳敷という小字名の緩やかな傾斜地があり、畠山が練兵場としていたという伝承が残る。戦国時代前期は山岳寺院を城郭として利用していた事例が多くあり、嶽山城においても龍泉寺を城郭の中心としていたと想定されている。

文献での記載は『多聞院日記』にある永正4年(1507年)に畠山義英が嶽山城に拠ったとする記述が最後であり、戦国時代末期まで城が機能していたと判断する材料は乏しいとする。

沿革

南北朝時代では南朝方の佐備氏が守将となって防衛に当たっていたが、延元2年/建武4年(1337年)、北朝方の細川顕氏の攻撃により激戦の末陥落した。その後、南朝方が奪還して楠木正儀和田正武の軍が千人ほどいたが、正平15年/延文5年(1360年)に北朝方の細川清氏赤松範実によって落とされた。以後は河内守護畠山氏支城となる。

室町時代中期になると畠山氏にお家騒動が発生、畠山政長家督や河内・紀伊越中山城の守護職を奪われた上に治伐の綸旨まで出され、朝敵にされた畠山義就長禄4年(1460年)12月、籠城を開始する。ここに応仁の乱の前哨戦とも言える嶽山城の戦いが開始され、2年以上も細川勝元や政長を中心とする幕府軍を悩ませた。寛正4年(1463年4月15日、嶽山城(岳山城)は陥落し、義就は紀伊国高野山、のち吉野に逃れた[1]

応仁の乱においては、文明3年(1471年)、河内国における西軍の数少ない拠点のひとつだった同城が東軍によって陥落している[2]

永正4年(1507年)12月4日、義就の孫・畠山義英が嶽山城(岳山城)に籠城した[3]。永正5年(1508年)1月、畠山尚順細川高国により同城は陥落したが、細川澄元の部将・赤沢長経が尚順らに無断で脱出させた[4]。これは、畠山氏の一本化・強大化を避けるための措置だった[4]

城はこの後の畠山氏の没落と共に廃城になった。

脚注

参考文献

  • 大阪府史編集専門委員会 編『大阪府史』 第4巻《中世編 Ⅱ》、大阪府、1981年5月30日。NDLJP:9574696 (要登録)
  • 棚橋利光『大阪の戦乱と城』松籟社 1993年
  • 中西裕樹『大阪府中世城郭事典』戎光祥出版 2015年
  • 青木昭和「龍泉寺城・龍泉寺」『南河内における中世城館の調査』大阪府教育委員会、2008年
  • 野村豊『今道萬造の錦の織物名跡考』

外部リンク


龍泉寺城

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龍泉寺 (名古屋市守山区)」の記事における「龍泉寺城」の解説

上述のように尾張歴史上龍泉寺何度軍事施設として使われたこともあり、「龍泉寺城」とされることもある。現在でも境内周囲一部には空堀状の跡が残されているほか、境内裏側日本庭園の横には三層模擬天守建てられている。これは、重要文化財木造地蔵菩薩像円空仏などを所有する宝物館兼ねている毎週日曜開館

※この「龍泉寺城」の解説は、「龍泉寺 (名古屋市守山区)」の解説の一部です。
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