龍泉寺 (龍ケ崎市)とは? わかりやすく解説

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龍泉寺 (龍ケ崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 07:58 UTC 版)

龍泉寺
所在地 茨城県龍ケ崎市下町2877-1
位置 北緯35度54分19.4秒 東経140度11分33.7秒 / 北緯35.905389度 東経140.192694度 / 35.905389; 140.192694座標: 北緯35度54分19.4秒 東経140度11分33.7秒 / 北緯35.905389度 東経140.192694度 / 35.905389; 140.192694
山号 東福山
院号 水天院
宗派 天台宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 淳和天皇の御代(823年 - 833年
開山 蓮雪法印
別称 龍ヶ崎観音
公式サイト 龍ヶ崎観音/龍泉寺公式サイト‐いばらき 安産・子授けの観音さま
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龍泉寺(りゅうせんじ)は、茨城県龍ケ崎市にある天台宗寺院

歴史

淳和天皇の御代(823年 - 833年)、蓮雪法印によって開山された。淳和天皇は弘法大師空海難産に苦しむ女性を救うように命じた。空海は自ら聖観世音菩薩像を彫り、そのご利益により安産が増えるようになった。しかし、東国では未だに難産に苦しんでいたことから、日光三山を開山した勝道の弟子の蓮雪法印は空海に頼みこんで、その聖観世音菩薩像を譲り受け、当地に安置することになった。これが当寺の起源である[1][2]

天正年間(1573年 - 1592年)、龍ケ崎城の城主土岐胤倫は娘の虎姫が難産で苦しんでいたが、当寺の聖観世音菩薩に祈ったところ、無事に出産することができた。以降、安産祈願の観音「龍ヶ崎観音」として知られるようになった[3]

1925年大正14年)、妊娠中の皇太子妃良子女王に安産祈願のお守りを献上した。その甲斐もあって、皇太子妃は無事皇女照宮成子内親王)を出産した。当時の東宮大夫珍田捨巳は当寺に感謝状を贈っている[3]

明治初期、本堂を再建しようとしたが、完成直前に龍ケ崎大火に遭遇し、無に帰してしまった。その後、百年近く仮堂のままであったが、1975年昭和50年)にようやく再建された[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、176-177p
  2. ^ 歴史・由来龍泉寺
  3. ^ a b 安産祈願のお寺龍泉寺

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年

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